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昨日の不倶戴天の敵は 今日の刎頚の友

日がな一日世界の傍観者となって独り言をのたくった跡

せんばってどこ!?

 ♪あんたがたどこさ
 で始まる有名な歌ですが、よく考えると結構恐ろしい。

 

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 熊本市熊本菓房さんのせんば子狸が本日のお茶請け。
 お茶は焙じ茶、だったかなぁ・・・・・・?

 

 春らしいといったら春らしいが、寒暖と気圧の差でぐったりです。

皿♪

 先日一目惚れして購入したもの↓

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 小鹿田焼き。
 左が黒縁、右が飛び鉋(かんな)。共に4寸皿。
 黒縁の方が100円高いのだが、どちらも捨て難いので少し懐が痛んだが2枚購入してしまった。
 
 去年の4月にも5枚1組の結びの皿を買っている・・・・(乾いた笑い)。

 このお皿には和菓子よりもむしろ洋菓子。そうだね、チーズケーキや飾り気のないショートケーキ、ティラミスなんかが合いそうだね。

 

 本日のお茶。

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 お茶はやぶきた紅茶。
 あっさりとした味の牛乳が手に入ったので、合わせてみた。何だか夏向きっぽい味のミルクティーになった。
 お茶請けは見ての通り。左のはチロルチョコレート。モーツァルトが描いてあるのだが、マジパンが好きなら是非♪

もれなく圧殺疑似体験付きにて候

 都心の通勤・通学ラッシュは地獄のよう。とよく言われる。人ごみが嫌いとはいえ、比較的平気です。ついでに二十歳になるまで電車の乗り継ぎすらもまともに出来なかったキラズです。今でもたまにポカやります。あ、これについてはツッコミ可。

 

 自分が使用する沿線上にタワーマンションが立つともれなく影響受けます。んでもって相互路線乗り入れで繋がると、バタフライエフェクトが発動しやすくなります(ちょっとの影響が大きな影響力を持ちやすくなるってこと)。
 
 1日1度ではなく2度経験。流石に参った。運が悪かったとしか言いようがないネ。


 普通おなかに通っている血管から脈なんぞ感じませんわな。車内でぎゅ~っと潰されてだくめいている(どきどきいっている)のが分かるんだよ。感覚としては腹に傷を負って出血した感じだ。気持ち悪いことこの上ない。
 車内から開放されて圧迫された血管が元に戻り、通常モードに戻る前にまた同じ現象の中に放り込まれる。っと。再び開放された時にゃ痙攣と呂律が回らないというおまけがつきました。水分摂取したものの、完全回復するのに1刻かかちまったい。

 

 自分の前に立っていた人が網棚の上に上げた荷物が、前に傾いで寝ていた自分の後頭部に直撃したこともあったっけかなぁ(遠い目)。しかも1度や2度じゃあないんだよね(笑)。あ、ちゃんと記憶がぶっ飛んだよ。自分には経験ないが、深酔いして記憶を失くすのと同じ感じだろうか?ただ飛んだ記憶というのはその衝撃の前のではなく、全然関係ない過去のもの。
 ただでさえ頭悪いのに、更に悪くなった気分だ。

 

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 本日のお茶は16年はダージリン 1stフラッシュ、ムーンダコティー茶園のもの。
 お茶請けは山梨県中央市、渡辺商店さんの山梨県産のぶどうジャムうサンドクッキー。食べやすいし美味しい♪味も香りもくどくないのが好い。
 これの他に桃もあったのだが、麿さんがアレルギーの為ぶどうにした。2/3は麿さんの胃の中にばきゅ~むされました、ハイ。

銀世界。それは白梅が満開であるさまを指す言葉でもある

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 曇天だとよく分からんな。

 

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 これならなんとか・・・・。

 

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 中央の点は鳥。鶯かもしれない。実は鳥と目が合っている状態で撮影している。

 

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 こちらは紅梅。って、見れば分かりますな。

 

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 これは寒緋桜。少し綻んでいる。

 

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 ふと見上げたら鳥がいた。 

 

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これもスモーキー

 12月の池袋のショーで手に入れたものです。
 タイプ違いで2つ購入。2016年のニュータイプだそうです。ブラジル産。

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 灰銀色というべきだろうか。表面がシルバーグレーですが(つまり研磨すると普通の透明水晶になる)、煙水晶の一種。

 

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 着色の素は微粒子。

 

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 こういっちゃあなんだが、結構男前(笑)。

 

 本日のお茶。

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 お茶は棒焙じ茶
 お茶請けは広島の生もみじまんじゅう。今回は粒餡。自分としてはこしあんの方が好みかな。

 

 

春日大社展に行ってきた

 国宝ざっくざく♪てなわけで往ってみた。期間限定で国宝の鎧が四領揃う事だしな。ついでに16日に麿さんが行った。博物館に一人で行ったのは初めてだったそうな。ただ、平日だった所為かそれとも運が悪かったのか、閉口するくらいマナーの悪いのが溢れていたとな。で、常設展の埴輪に癒されていたとのこと。

 

 入る前に思ったんだが、春日大社が発する気というか形成している結界って新緑を思わせるような緑色なんね。手触りとしては金沢八景の琵琶島の近くにある瀬戸神社に似ている。色は違うけど。

 

 かなり宣伝していた割りには混んでいませんでしたね。入るまで並ばなかったし。で、ささっと上に上がって即奉納された武具のコーナーへGo!
 何でか知らんけど、どうしてこう武器や防具の展示のコーナーってやたらと喧しいのが多いんだ?

 

 全体の構成は以下。
 第1章 神鹿の社
 第2章 平安の正倉院
 第3章 春日信仰を巡る美的世界
 第4章 奉納された武具
 第5章 神々に捧げる芸能
 第6章 春日大社の式年造替

 

 国宝はずっと展示されることが先ずないので、かなり展示替えの激しい展示でしたが、足繁く通った人もいるんだろうなぁ。などと思ってみたりする。
 藤原氏氏神だが、皇族とも縁(ゆかり)深い神社でもあるからね。なのにもかかわらず、そういった知識が全くない人達がいてびっくりしたさ(60代くらいの男性グループ)。

 

 第1章と第2章の間には、社の勤め人でも関係者しか立ち入れないような場所を1/1スケールで一部再現していました。瑠璃灯篭がとても綺麗だった。一体誰が考案したんだろうか?展示されていたのは鎌倉時代のものだそうで。

 

 展示品(奉納品)の年代幅は平安時代から19世紀の江戸時代まで。復元模造品も含めると平成15年(12引くと西暦下二桁が出るぞ)。第3章以外は殆どのものが春日大社蔵。南北朝時代のものも結構多い。
 翻って一番少ないのは安土桃山・戦国時代だろうか。戦国時代よりも更に実力主義にして日和見主義が酷かった南北朝時代ではあるが、遺品が多いのは寺社の権力や力はそれなりに保たれていたからなんだろうと思う。16世紀以降はキリスト教も入り込んできて宗教戦争ですか?と思える状況も結構あるし。あ、語尾が現在形なのは、未だにそういったトモガラがいる上に平気で冒瀆行動をしてのけるから。信仰云々というよりは文化財に対する冒瀆行為。

 

 奉納品(主に曼荼羅)と共に思想の歴史も追えるようになっています。
 産土神(うぶすながみ)信仰、神道仏教密教含む)を基材として本地垂迹(すいじゃく)説が混ざり合い、神仏習合の形になったりして、日本の宗教観ってどれだけ緩いんだろうか?と思いました。尤もその緩さは悪くはない。
 第2章は当時の生活用品や様式なども垣間見られるので、平安時代ってそれなりの貴族は雅やかな世界に身を置いていたのだなと感じる。物凄っいストレス社会だったのだろうけれど。ついでに箱や鏡、琴の蒔絵などを今見ても違和感がない。
 あと、平安時代奈良時代よりも庶民の生活記録などが現在に残っていないので、そういった面では意外に研究は進んでいないのだそうだ。逆に考えると土壌や気候の諸条件に加えて、幾度の戦火を潜り抜け、場所によっちゃあ花火師の手を逃れてきたものがこれだけ残っているのを考えると凄いとしか言いようがない。
 弓や矢の奉納品は見ていて面白かった。ついでに近くで見ていた子供二人(男女)の会話もツッコミどころ満載で面白かった。女の子って小さい頃から現実的な子が多いんね(笑)。
 武具関係の展示では弓は兎も角としても、矢って殆ど展示されないんですよ。鏃しか残らないから(日本の土壌が酸性なため)。以前弓矢の歴史展に行った時、よく残っていたもんだねと思った記憶がある。発掘及び展示場所が群馬だったのだが、残り易い土壌の地域があるんだろうかね?

 

 第3章は曼荼羅や像がメイン。普段見られない角度から見ることが出来るのは嬉しい。
 曼荼羅はスコープを用いてじっくりと観賞したかったという願望があるものの、スコープは持っていないし、何よりも他の鑑賞者に迷惑が掛かるので全体をさらりと俯瞰するような感じで観賞しました。

 修復に皇后陛下が育てられた小石川丸という蚕が使われたという説明があったが、現在主流となっている絹糸とは異なりそんなに量が取れない。触り比べたことがあるのだが、その糸の細さや滑らかさは日本の風土気候になっているのだなと思える手触りだった。
 
 一度全体構成を把握した第4章は、腰を落ち着けて観賞。
 奉納された大鎧や胴丸って、奉納者の体格に合わせているんだろうか?もしそうなら去年国宝の仲間入りした黒韋威(くろかわおどし)胴丸着用者はどれだけ華奢や!?ちなみにこの胴丸は、消耗品というか取り替えられるのが当たり前とされている括り紐(?)が当時のままだというのが貴重なポイントなのだそうだ。


 赤糸威大鎧は2領のうち1領は奉納用。つまり未使用。2領並べてみるとbefore/afterてな感じで色の褪め方や紐や威し部分の劣化の具合が興味深い。
 源平合戦以降大将及び同等ランクの人は赤糸威を纏う習慣があるようだが、確かにこんなの戦場で着ていたら目立つ。余程信頼の厚い秀でた部下や自身が強くないと、こんなの纏えんよ。余談だが『太平記』では護良親王新田義貞が着用している描写がある。他には脇屋義助が青褐(あおかち)の大鎧を、楠正成が黒韋威の胴丸を着用している描写がある。他にもあるが、結構多いので今思いつただけを書いてみた。
 
 防禦の要だが、それと同時に死装束でもある大鎧は彫金細工も豪華♪奉納用もさることながら、実用されたものも着装者の意に沿った(?)ものが成されている。
 鎧も胴丸も草摺(くさずり)は4枚だったかな?色(威)にしても今回目にしたのは赤と黒のみだが、裾濃(すそご)や有名な萌黄匂(平敦盛が最期に着用していた)、小桜威、科皮(しながわ)威、襲の色目を取り入れたものなど色々ありますが、戦場に機能美以外の美を持ち込むという感覚が近代戦以降とは違うのだなぁと思った。近代戦にもないとは言わんが、何か下種(←平和ボケ丸出しですのぅ)。


 大鎧も胴丸も鎌倉時代室町時代に作られたもの。この時代は白兵戦の展開の仕方、武器の変容などと相俟って色々と過渡期でもある。この時代は基本は太刀だが、この後徐々に打ち刀が増えてくることになる。太刀が完全に姿を消したわけじゃあないが、隅の隅の方に追いやられる。幕末に進むにつれて、(南北朝時代のような)実戦に耐えうるような実用性の高い太刀を復活させた刀工さんが現れるまではね。
 太刀は麿さんオススメということもあり、迷惑だと分かっていても手に取れないなりの観賞方法を展開してきた。光の反射を使うので長時間やっていると腰痛めるのが難点だが、数振りほどだったので問題なし。
 刀身と刀装、つまり中身と外見が時代違いになっていることが多いのだが、ここではそんな違いはなかった。あっても1世紀くらい。
 ・・・・やっぱぎらぎらと飢えた感じの古青江派はいいねぇ~。

 

 第4章と第5章の間には記念撮影のコーナーがあり、吊り灯篭を撮影することが可能。フラッシュは禁止だが。
 全てではないがデザインが個性豊かというのと、たまたまデジカメを持っていっていたので色々と撮ってきた。ブログにはアップせんけど。

 

 第5章の芸能は競馬、相撲、舞楽、伎楽、能といった元々神事の側面を持つ芸能関係について。
 大した知識も持ち合わせていない。舞楽は右方と左方で演目が違うとか、揃える色調が違うとか高校の古典で習うことくらいしか知らん。あと、元々平安時代を中心とした落書きをしていたので、装束を見て演目やその元となった故事を予測出来る程度。


 中国から伝播した舞楽だが、本家本元には残っているんだろうか?ちなみに日本とベトナムには多少形は変わったが残っているので、2、3年位前に日本で1300年の時を経ての合同コンサートが開催されましたね。
 伎楽の面は中国や朝鮮半島には残っておらず、残っているのは日本とドイツの博物館だけとのこと。但し後者の所蔵数は一面。・・・・何で?

 

 最後の章は式年造替について。所謂リハウス。一体何億掛かるか知らんけど。
 室町2代将軍こと足利義詮(よしあきら)の御判御教書案なるものが展示されていた。初代と3代目が強烈であったが故に目立たない人。直義(尊氏の弟)と仲が悪かったことから、どちらかというとバサラ傾向にあったと思われる。名前を書かせると言遍(ごんべん)の隣を大抵の人は全と書く。王の上は入なんだけどね・・・・(歴史の引っ掛け問題によく使われるのだそうだ)。
 
 最後に陳列されていたのが狛犬と獅子。狛犬は高麗犬とも書くが、一般的ではない。二軀一対で、鎌倉もしくは室町時代のものなのだが、並べてみると時代の違いが何となく分かる。追求するときりがないから思うだけにしておくが、起源は一体どこ?起源から伝播方向は?何の為?何で獅子と犬?個人的には謎が多い・・・・・・。
 
 この後は常設展行って庭園で写真撮ったりしていました。惜しむらくは曇天だったこと。ま、仕方あるまい。

春一番

 春一番とは言うが、春一号とは言わんね。逆に木枯らし一号とは言うが、木枯らし一番とは言わんね。語感の問題だろうか?
 2月の異称の一つに恵風(けいふう)というのがある。これはやはり春一番と関わりがあるんだろうか。それとも東風(こち/あゆ/はるかぜ)が吹き始めるからだろうか。


 寒さが緩むのはいいことなんだろうけれど、花粉症の人には辛い季節に他ならないよなぁ。母が年々症状が悪化してきているので、何か軽減する方法はないだろうかなと思う。 

 

 本日のお茶。

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 湯量が少しばかり多かったようだ。表面張力実験のようになっている(汗)。
 お茶は15年はダージリン1stフラッシュ、マーガレッツホープ茶園のスプリングディライト。
 お茶請けはオイラのお気に入りのバターケーキ♪
 広島県バイエルンさんのルートヴィヒⅡ世(←そういう商品名なんだってば)。

 これを知った時に「店主はワグネリアンかね?」と麿さんに問うたところ、「枠練り餡?」と返ってきたこともあったっけかな。・・・・羊羹ですか?

行ってこそ意味あるんだけどね

 最近ネットのオークションで御朱印がやり取りされているらしい。あと代行業者がいるようだ。
 自身も御朱印を頂く身ではあるが、無意味なことやってんなぁとしか思えない。
 神社や仏閣の御朱印絡みでそれはどうよ?というのがあるのも知っている。宗教法人って課税されないから儲けているイメージがあるようだが、そんなの極一部だぞ。

 

 スタンプラリーの感覚でやっているのなら、実際に七福神を巡るスタンプラリーというのがあるからそっちにしてもらいたいよ。

 

 自分は能書が好きなのと、墨の匂いが落ち着くのと、その土地に住み着いている存在(もの)と縁(えにし)を意識した証として頂いている。
 史跡を巡るようになってから、始めたかな?その土地の歴史や過去を調べたり、興味のある城址や古戦場跡の周辺を調べたりしていると必ずといっていいほど絡んでくるしね。ついでに古刹近辺には美味しい和菓子屋さんが多いことが多い。これもやはり切っても切れない関係にあるからね。


 一番初めに頂いたのは長野の善光寺。ここで御朱印帖なるものを見かけ、そこが出発点となった。

 

 ついでに御朱印を頂くに当たり、御礼は50~500円位です。

 本日のお茶。

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 お茶は安倍の百年茶。
 お茶請けは広島県広島市はにしき堂さんの生もみじのこしあん。
 もみじ饅頭の生地が小麦粉ではなく餅粉で作られているため、むちっとした食感。個人的には餡の中に柚子が入っていなくてもいい気がする。

別に珍しいことでもないと思うが

 磐石が堅固になったから踏み切った。というのが理由の一つのようだ。⇒マサオ(正男)がやられましたな。
 古来からある兄弟のあり方の一つが体現されたわけだが、何で残酷だとか信じられないとか兄弟なのにということが言えるのか、そこが不思議である。

 

 兄弟のあり方の一つとして、特に権力構造の上層に至る存在にとって、仲睦まじく助け合って云々というのは逆に珍しい。そう、最早幻想とも言える位に。例え兄弟同士がそうしたくとも(仲良くしたいまたは疎遠でありたいと思っていても)、周囲が黙っちゃいない。それが現実。
 
 暗殺の方法としては手取り早くて有効。体内に直接毒を注入するわけだから。ロシアというかソヴィエトもこの手を好むよな。ラスプーチンの如しだったら話は別だが・・・・。

 

 これからどうなるのか頭の悪い自分にゃ皆目見当付かんな。

 

 本日のお茶。

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 お茶はダージリン
 お茶請けはカントリーマアムのホワイト。
 正直合わなかった。単品としては美味しいが、このお茶と合わせるとホワイトが強くてお茶の味が台無し。
  

ラスコー展と南北朝の怨霊 ~楠正成編~に行ってきた

 実験逼迫してんのに何サボってんだよ!?と個人的なツッコミをしておく。従って今週日曜日は休日出勤。だから、今日ラスコー展に行った。本当はもっとゆっくりと見たかったさ!!
 
 知名度が高いラスコー洞窟だが、現在は閉鎖されている為見に行くことの叶わない世界遺産。思った以上に人が多かった。本邦だけではなく、世界初公開のものもあれば日本限定のものあるということに加え、1㎜程しか狂いのない精密な洞窟壁画のレプリカを目にすることが出来るのだから当然かもしれない。

 

 構成は以下。
 クロマニョン人がどういった人類だったか⇒洞窟の発見から閉鎖まで⇒模型を使った洞窟の形状⇒洞窟内に残されていた画材や道具などの謎⇒洞窟壁画⇒ラスコー洞窟の研究⇒クロマニョン人の世界・芸術はいつ生まれたか⇒クロマニョン人の正体・彼らはどこから来たのか⇒その時日本は
 
 何の為に描かれたのか、何故描いたのか。解らないことだらけだそうだ。しかも単体ではなく集団で。壁画自体も足場の悪い高いところに描かれているので、梯子を使って描いていたところもあるそうだ。
 壁画は約2万年前に描かれたとは思えない。技法やその観察眼からして、古代史好きな人にはこりゃたまらんわな。と感嘆。


 他に「!」と思ったのが、彼等が生きた時代に生息していた動物の骨格が展示されていた。オオツノジカというもので、象ですか?といえる大きさ。写真撮影はOKだったがそういった媒介を持っていなかったので画像はなし。


 洞窟壁画も凄かったが、興味深かったのが前述のルートのクロマニョン人の世界から後の章。人類は西アフリカで誕生し、分岐や滅亡を繰り返してホモ・サピエンスという種、つまり現在に至るのは周知かと。クロマニョン人も種としてはホモ・サピエンスに入るので顔立ちは今の人と変わらない。そして彼等の時代から飛躍的に進化し、そして芸術も生まれた。
 
 気候なども大いに影響していたのだと思うが、その点についてはもう少し掘り下げて欲しかったなと思う。あとは衣食住の食に関して。何を食べていたかというよりは何をどう食べていたのかとかね。
 今までの研究者達の情熱も凄いが、まだまだ解明されていないことが多いので一般人の身としては待つしかないですが、興味を熾火として持っていたいと思う。
 あと、その時日本ではというのも面白かった。発祥の地から遠いという理由の他に、土壌が酸性の為有機物が残りにくいという点で実態がより掴みにくいようだが、実は世界最古(約3万年前)の落とし穴(猟罠)があったり、かなり難易度の高い航海を男女共にしていたりと好奇心をくすぐる事例が多い。

 

 時間が押していたので、出てすぐ館内の庭で雀にご飯をあげながら即お弁当をかっ込んで、次なる場所へ行きました。
 で、どうにかセーフ。

 

 『太平記』における正成さんの登場から死の直前まで、既に怨霊化決定という書かれ方をしていると。
 史上での活動年数は5年程なのに、後の世の後押しがあったにせよここまで知名度が高いのは日本史上において正成さんくらいなものだそうな。

 

 教科書的な取り扱いとなると河内の悪党とされるが、実際は駿河出身の北条氏得宗被官(幼少期に河内に移り、そのまま北条氏の支配下から離れていったらしい)。あ、北条氏得宗被官って、平たく言うと北条氏の雑用係(強い隷属的な下級役人)。
 出自などは不明とされているが、悪党が身元をさらしてどうするよ!?というのがあって、特に史料は残っていないのだとか。父の正遠の代までは楠ではなく橘を名乗っていたとも。

 

 でー、正成さん怨霊化の燃料は色々とあるようですが、代表的なのが護良親王の失脚。
 脱線しますが、何かね、親に認められようと頑張ってきたのにもかかわらず、却って害悪を引き起こしたり失望したりというキャラだと思うんだよね。護良親王って。他には足利直冬新田義興がそう。

 

 護良親王は頭が悪かったとは思えないが、諸説があるが仏門に入ったのが早かった為政治的な駆け引きや空気を経験することなく表舞台に引き戻されたので、人の情を読むのには長けていなかった。良く言ってしまえば純真無垢。
 後醍醐天皇が寺社の力を得る為に仏門に送られたと考えるならば、本来まだ守られるべき時に守られなかった子供は長じてから加減を知らずに極端から極端に走る傾向にある。加えて宮は上層稚児に該当するので大事にはされていたと思う(純真無垢である原因)。


 政権が後醍醐天皇に戻った時、味方にした勢力の性質や宮の立ち位置や取り扱われ方を見るに当たって、共に多くの血を浴びてきた正成さんはどう思っていたか分からないが、それでも見捨てないでいたと思う。輾転反側裏切りが当たり前の世においても。

 

 ちょっと妄想⇒近くにいながらやっと戦が終わったのに、生きながらにして修羅道に堕ちていくような宮に対して手を差し伸べたのかもしれないが、宮は差し伸べられた手を取ることは出来ても、その手をどうすればいいか分からず、握り方すらも忘れてしまったのかもしれない。かつては自分が差し出された手を取ったのに・・・・。

 

 ちなみに『太平記』を読んでいると、宮の性格は一致していない。始めと失脚前とでは正反対といえる描写になっている。

 

 宮が捕らえられたのは正成さんが残党討伐で京を離れていた時。宮捕縛後は側近が片っ端から捕まってさっさと処刑されている。
 あくまで仮説として出されていたものに、それを知った正成さんは持ち前のネットワークとフットワークを駆使してまだ残っている側近を京から逃がした。とか宮を捕縛するに当たって正成さんを洛外に出したのは尊氏さんかその周辺だというのがある。


 宮がそうなった後は、一部を残して正成さんは総辞職をしている、これはあくまで自分は宮の与力である。という意思表示と共に、使えるだけ使っておいてお払い箱にした後醍醐天皇に対する抗議を兼ねているようだ。

 

 もう一つ代表的なものを上げておくと、尊氏さんが離反して追い落とされて九州に敗走した時、こちらから和議を申し込もうと提案したことを却下された。+4ヶ月ほどでUターンしてきた尊氏さんらの大軍を迎え撃つに当たって、勝つ為の策を献じたところこれも却下された。
 勝者側から和議を申し込むということは、自分達側に比較的有利な条件を飲ませるということも可能なわけだ。『梅松論』によるとその使者は自分が務めるといっている。この案が却下された後、「尊氏とどういった関係だったんだ?」とか「ついに気でもふれたか。」「田舎者にとっては都の空気はさぞかし身体に悪かろう。」てな侮辱された挙句、河内に謹慎を申し付けられた。

 

 尊氏さんの大軍を迎え撃つに当たり献じられた案は、後醍醐天皇の側近である坊門清忠が却下した。戦う前から逃げるとは何事か。ということに加え、宮方の勝因は王威と聖運(しょううん)によるものであって、武士(正成さんの武略や軍功、付き従った兵達)ではない。という思想が潰した。しかも後醍醐天皇もこれに賛意を示したので、「帝は私に死ねという事ですね。はい分かりましたよ。」といってさっさと出陣した。


 尼崎において後醍醐天皇宛に「貴方に徳はないからこの戦は負ける。自分がいても役に立たないからさっさと死にます。」てな旨の書簡を送っている。
 そう書いておきながら、熊野に水軍を要請したり(到着は間に合わなかった)義貞さん逃がす為に奮戦したり、動ける自陣の者を布引の滝に逃す為に時間を稼いだりしている。
 最後に弟の正季(まさすえ)と腹刺して刺し違える時に、めっさ悪用されたかの有名な「七生報国」の誓いがなされている。つか、これ言ったの正成さんじゃあなくて正季さんなんだよね。正成さんは同意しただけ。なのに何故か正成さんが言った事になっている。

 

 『太平記』によると、この時「罪深き悪念なれども、(以下略)」という描写になっているのだが、この言葉が怨霊化宣言に該当するのだそうです。ただ、怨霊化するということは自身も苦しむことになるので(成仏出来ずに現世を彷徨うことになるからな)、本懐を遂げた後はちゃんと供養をしてくれ。という意思表示でもあるそうだ。
 能楽が鎮魂芸能であるのも実はこのことと深い関わりがあるとのことでした。
 観阿弥の母が正成さんの姉妹。正成さんの嫡子・正行(まさつら)と観阿弥は従兄弟同士。最終的に家督を継いだのは正儀(まさのり)。彼は北朝と幾度も和平交渉をしている。北朝側の使者は芸術を手厚く擁護した佐々木導誉。二人を引き合わせるように舞台セットをしたのが、当時流行して様々な場所にいた能楽師達。その中心には観阿弥がいた。という仮説もあるそうだ。

 

 死後もちょこちょこと『太平記』では引っ張り出されている正成さんだが、これって講談師と聴講者の都合では?とも思えてしまう。
 室町三代将軍の義満が王権を簒奪しようと動き始めたら急死したというのも、正成さんの怨霊の所為とされているとか。尤もこれはこじつけとの見方が強いが。
 
 明治時代になってから南北どちらの天皇が正当なのか?という論争があり、三種の神器あるなしの即位によって南朝側が正統と正当された。
 当世は北朝天皇の血筋であるが、江戸時代の尊王思想、幕末の尊皇攘夷や外患やらで天皇の地位が揺るいでいた。一般的に南朝の忠臣達とされている者達は、近代の天皇制を敷くに当たり権威や国力を高める為の喧伝材料に使われた。特に正成さんは尊王の志士達が祀り上げていた為利用し易かったらしい。あと、明治天皇が当時置かれていた状況というのが後醍醐天皇とよく似ていた為、後醍醐天皇と自分をダブらせていたようです。
 強い怨霊であればあるほど鎮魂して供養することによって、物凄く強い守護霊になることも踏まえて湊川神社を創建し、別格官幣社天皇の臣下を神として祀る)に指定した。これは正成さんだけではなく、寵臣といわれた三木一草の残る二木一草、義貞さん他も同列の扱いを受けている。

 

 ・・・・・・何だかやたらと長くなったが、正成さんの項は以上。
 次は新田義貞
 5月にも別の大学の三鷹キャンパスで、義貞さん絡みの公開授業がある。平日なので受けようかどうしようか悩み中。

 

 本日のお茶。

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 お茶は松針紅。
 お茶請けはユーゴ&ヴィクトールさんのフィナンシェ、ルイボスティー(やはりナチュールが一番ですな)と、カントリーマアムのカカオ70(緑)とフルーツグラノーラ(赤)。