昨日の不倶戴天の敵は 今日の刎頚の友

日がな一日世界の傍観者となって独り言をのたくった跡

昭和は遠くなりにけり

 エノラ・ゲイの最後の生き残りの人が亡くなりましたね。93歳で老衰だそうだ。これで当時上空に居た者達は皆地上から消え去ったわけだ。

 歴史に「もし」もなければ、現在の感覚で彼等を裁くことや批判する資格などない。銃後の生まれなら尚更だ。ただ、銃後の生まれだからこそ言えることもある。


 自分も言いたい事は色々あるし、思うことも色々ある。が、敢えてここでは言及しないでおく。インダビューやTVなどで彼や彼等の言葉を耳にした事はあるが、「あくまで軍人」なんだなと思った。「軍人」である限り「個としての人間」という存在は同じ場所に出現させる事は出来ない。
 極論的に話を展開するのであらば、彼等も状況の被害者に他ならない。それに対して謝罪を求めたり批判を出来るのは、当事者か二次的被害者(どちらかというと狭義)だ。

 

 今でも原爆を落としてどうのとかのたもうている、中国とか韓国他のような国は、自分達が当事者になってから言ってくれ(少なくとも住宅密集地と繁華街に1発ずつ喰らえ)。それに現在局地的な戦争で核が使用されたら、その余波が世界中に行くという事も解せ。つまりキサマラも無事では済まされないって事だ。

 

 して、自分は長崎の原爆資料館に行った事はありますが、広島のにはないです。こういう体質なのでその資料館の中で何があったか言うべくもないが、出来れば遠慮したいなとも思う。恐らく感受性がぶっ壊れる可能性が高い。するとそれを回避する為に"何も感じなくなる"事が大いにあり得るからだ。それでは意味がない。
 ・・・・こういった場合はどうすべきだろうか。一旦麻痺に近い状態にもって行くしかないんだろうな。

 

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本日のお茶は14年はダージリン、マカイバリ茶園のクリスタルフラッシュ(アイス)と、キョーワバイオさんの塩バターラスク。甘くなく、塩味強めなのには驚いた。