昨日の不倶戴天の敵は 今日の刎頚の友

日がな一日世界の傍観者となって独り言をのたくった跡

所詮は若造(自分平均年齢に達してもおらんからな)の戯れ言だ

 今日もミラーブログ。

 

 改めて考えると「何で?」と思う。
 靖国さんと立ち位置上合祀される事のなかった、同じ境内の祭祀場にまつられた御霊、そして千鳥が淵の戦没者慰霊碑。近いけど遠いところにあるのは何でだろうなーと慮る事はあった。
 
 タイトルの主語だが、戦後帰還者や戦没者遺族、戦没者「戦争の片棒を担いだ」とされ、冷遇される事が多々あった。そういうことは知ってはいた。それに対して思うことが1行目。
 当時の「じょうぎ」(好きな字を入れてくれ)や価値観を持つ事のない自分には理解出来ない枠の事だが、冷ややかな態度で接していたモノタチってーのは、戦中一体何をしていたんだ?あんまストレートに書くとあれなんだが、敢えて書くなら「オマエラ共産党か?」
 一応まとめておくと、そういった背景があったから分散するよう図られたんじゃあないか?と思う。毎年12月に花と酒を手向けている東池袋の某所も、設置されるまでモノスゴカッタらしいしな。生まれる前の話だからよく知らんけど。
 
 して、戦中の出来事に関して、「とてもじゃあないが・・・・・」という部分も多いが、日本人というか日本に根付いている死生観って、所詮はその程度のものか。と思ったのが、この戦後の手の平返し。
 これが民族特性の一つと出来るのならば、どれだけくそ甘ったるい幻想と妄想の上に「日本」が成り立ってんだか。とか思ってしまう。ただ、これが人間の特性とするのなら、何となく分かりはする。言葉にしたり説明するのは無理だがね。

 

 それはさておき本日のお茶。
 静岡茶。お茶請けはアイネットさんのひよこ。

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ちゃんと目、ついてます。