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昨日の不倶戴天の敵は 今日の刎頚の友

日がな一日世界の傍観者となって独り言をのたくった跡

日本国宝展とウフィツィ美術館展と高野山の名宝展に行ってきた

 やたら長い上に読みにくいのでご注意を。

 

 サボタージュ決行。久々だね。

 先ずは上野へ。
 行き着いた先は東京国立博物館の平成館で開催されている日本国宝展。
 渡来品でも、日本文化の形成に大いに影響を与えていたものは国宝として認められる。従って国宝の中にも中国や朝鮮半島のものもある。
 展示品は古いものが多く、縄文時代中期のものもある。最も新しいものでも19世紀。奈良、平安、鎌倉時代が多め。
 仏教や神道、信仰に関するものがメインなので、宗教に懐疑的な人にはつまらないと思う。

 個人的にウハウハしていたのが幾つかあります。
 1つが丙子椒林剣。日本刀好きなら知っていないと。という一振りにて候。聖徳太子の愛刀です。茎(なかご)からして儀仗っぽいのだが、飛鳥時代の物なのに錆びていない。
 同じ刀でもぼろぼろに錆びているが国宝の陽剣と陰剣。正式には金銀荘大刀。東大寺の鎮壇具。聖武天皇の遺愛品で、1250年間もの間行方知れずだったもの。陰剣の方は歪んで撓(たわ)んでいるものの、ほぼ全形残っていました。それらが金銀荘大刀と断定されたのはX線調査の御蔭。
 その他刀剣類は来派のがありました。ちゃんと国俊のが来ていましたよ~♪国俊といったら短刀作りの名人。やはりいつ見ても美しい。

 忘れちゃならない海の正倉院こと、沖ノ島の出土品もありました。
 国土から離れている(?)シリーズはこの他に琉球国王尚家関係の資料や、慶長遣欧使節団関係資料がありました。前者は18~19世紀。後者は支倉常長といえばお分かりになるかと。

 文学、記録にみる信仰というエリアで、尊氏の御教書と直義の下知状が並んで展示されていたのを目にした時、思わず顔にやけましたよ。この二人のどろっどろにぐだぐだな、屈折した兄弟憎愛関係が結構好きだったりする(笑)。
 同母兄弟で年子(実際は1歳半らしい)だが、性格が正反対なこのお二人。字までも全く違う。以前も歴博でこの二人の書状が並んでいるのを見たが、死後もこんなところで比べられるとは思いもしなかっただろうな。ついでにどっちが好きというのはなく、この二人だから好きだ。

 同じエリアで、意外と思ったのが『今昔物語集』の写本。何でも室町時代よりもものが殆ど残っていないのだそうだ。展示されていたものは鎌倉時代のもの。
 『今昔物語集』の中に、賀茂保憲安倍晴明が術比べをする話があったらしいのだが、今には伝わっていないんだよね。んで、室町時代って天皇の庇護の下で安倍家が物凄く勢力を伸ばしていった時代でもある。焚書した?と思っている。
 11世紀前半には陰陽寮は安倍氏、賀茂氏、惟高氏、中大臣氏に占領されていた(実力では一番だった中原恒盛が出世出来なかった)。天皇にプッシュされても庶民からの支持を取り付けなければ意味はない。そこで宣伝材料が必要となる。伝説となれるような基材(うってつけの人材)を持っていたのは安倍氏と賀茂氏。特に前者。しかし広辞苑(第2版)に賀茂保憲が載っていない。そのことから推測した結果がそれ。勝っていたのなら、安倍氏にも劣らぬということでもっと世間に名を知られても良かったはず・・・・。そーんな賀茂氏も戦国時代に入る前だったか、嫡子がキリスト教に走り、中継ぎもうまくいかず家が断絶しました。

 最後のエリアが仏像及び神像。あ、言うまでもなく中てられましたよ。と同時に納得した。建物の外をぼんやりと包むような古金色の靄はこれが源だったのかと。平成館で行われた展示の中で一番強烈だったのが阿修羅展の結界でしたね。次いで薬師寺展、その次が神社展。その三展示は全て同じ人と行って、二人して中てられていた(笑)。ま、そんなことはどうでもいいや。
 四天王の信仰がいつから始まったか分からないが、飛鳥時代広目天像にはびっくりさ。造形がキュビズムだったから。特に邪鬼が。見た目も鬼というよりは虫。
 ↑仏教伝来と共に伝わった感じもしなくもない。が、仏教において「~天」って付くのはヒンディー教の神様なんだよね。となると、七福神は殆ど外来の神様で占められていることになる。メイド・イン・ジャパンは恵比寿三郎さんだけやん。大黒天はマーハーカーラだし。確か死神じゃあなかったっけ?寿老人福禄寿は中国の神様だし。前者は『封神演技』にも出ていなかったっけ?後者は元々三柱の厨(くりや)の神様が合体したものだったような・・・・?あぁ、記憶があやふやじゃぁ(←自分の記憶に頼らんでネットで調べてから書けよ)。
 
 ショップでは柄付きの蓮花形の香立てに一目惚れして買ってしまいました(汗)。また能香シリーズの通小町を買おうかな?あの香り好きだし。深草の少将がやっていることはストーカー行為に過ぎない気もするが、あれを恋する男の身を焦がすような想いの残香(醸香?)とするならば、それを共に手紙をしたためるというのもまた一興だろう(←誰かこいつに突っ込んでやれ)。
 その後お昼にしました。場所が平成館だと食べるところがあるので便利♪

 次に行ったのは東京都美術館で開催されているウフィツィ美術館展。ウフィツィは事務所のことだそうだ。元々美術館が庁舎として使われていたことから命名されたそうだ。
 ウフィツィ美術館がメイン貸し出し。で、中身は15~16世紀のフィレンツェの美術史。イタリアの歴史について知っている人であれば、国家統一運動によってイタリアが現在の形になったのがつい約150年前だということはご存知のはず。最もイタリアの歴史を知らなくても、中学で習う世界史の知識があればごちゃごちゃしていたんだろうなーという想像することは容易いと思う。
 その時代のイタリア史をちょっと頭に入れておくと、より穿った見方が出来て面白いかもしれない。正直もっと深く愉しみたいというのであればオスマントルコアルバニアハンガリールーマニアとイタリア及び教皇庁の関係を知っておくと良いかと。ローディの和とかな。
 宗教画が多いのでテンペラ画やフレスコ画が多い。従って母材がカンヴァスのものは殆どなく、板がメイン。その他陶板や瓦が母材になっているものがある。瓦に描かれたものは言われなければ分からないくらいで、画家のレベルの高さをしっとりと語っているところがまた良かった。
 有名な画家はリッピ、ペルジーノ、ボッティチェリ、ブロンヅィーノ辺りだろうか。工房で親方を中心とし、大量受注に応えていた時代なので、筆致が似ている人が多く、よう混乱しているせいでそれとしか言えない。「何で入っていないんだ?」という人が居りましたら御一報下さい。

 ショップでポストカードを購入した後、先を急ぐ。途中で上野公園内の九州物産展につかまったが、さらって見て買い物をして離脱。次なる目的地はサントリー美術館

 来年高野山開創1200年記念ってことで、山の正倉院の異名を持つ高野山の名宝展が開催されている。
 何故かたまたまロッカーで隣になったご婦人とお話しするという展開になりまして、鎌倉の某お寺をお勧めされました(はたたの木で造られた御神像があるとのこと)。行き方を書こうとしたら、自分(キラズ)のメモにわざわざ行き方まで書き記して下さいました。写経をやっているとおっしゃっただけあり、能書でしたよ。自宅から鎌倉は日帰りで行けなくはないが、ちょっと厳しい。ただ、色んな方に勧められているので土地を縁(えにし)を結びに往くのも良いかなと考えている。
 その後婦人には「穏やかなのね。」と言われましたが、何でこう、騙されてくれるかなぁ・・・・・?つか、騙されなかった人の方が少なくないか?オフラインの人はどう思います??
 して、無論ここでも中てられた。
 入れ替えが多く、見られないものも多数あったが、金剛峯寺根本縁起を見ることが出来て嬉しかった。正式名称は知らなかったのだが、後醍醐天皇の手形を押されたものが現存しているということだけは知っていた。実際に目にするとは思ってもいなかった。しかも両手の朱手形だったとは!で、建武2年(1335年)とあった。そこで素直じゃあないのがキラズの思考経路。即、三木一草まとめて討ち死に1年前かとか思っていたりする(←もういいから誰かこのバカ埋めてこい)。
 
 この展示の見所は、何と言っても運慶作の八大童子と快慶作の四天王立像だろう。但し八大童子のうちの2躯は南北朝時代に後補されたもの。作者は不明だが、慶派の流れを汲むものと思われる。素人目だからかもしれないが、違和感なかった。
 神気に中てられながらくらくらしつつ、胸中「うっは~v鼻血モノvv」とうっとりしていたアブナイヤカラは、何を隠そう自分です、はい。つか、何だろうーねー。生身の人間にはそういうことを思いもしないくせいになー。思わずオマエはピュグマリオンかよっ!とセルフツッコミを入れたくなる心情だ。

 時間と身体が許容出来る範囲で鑑賞した後、ショップによって母のお土産にクリアファイルを4枚購入して次なる場所へ行きました。次なる場所は父が入院している病院です。その前に明治屋さんでお買い物♪美味しい牛乳をゲット。断っておくが、普段はこんな高いところで買い物はしないよ。漬物が切れていたことを思い出したので、覚えているうちに用事を済ませてしまおうと思ってね。物覚え悪いくせにすぐ忘れるのでね。

 で、本日はお茶せず。