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昨日の不倶戴天の敵は 今日の刎頚の友

日がな一日世界の傍観者となって独り言をのたくった跡

湊川の合戦

日本史 日本文化

 兵庫県湊川。ここもよく合戦場になっているような気がするが、この日は楠正成討死にの日。腹捌いた上に弟こと正季(まさすえ)と短刀で腹刺し違えて死ぬって一体・・・・・・。しかも腹捌いた状態で弟と最期の会話をしている。最期だからって、リアルに腹を割って話さんでもとツッコミたいのは自分だけか?

 

 この方の死に関しては様々言われておりますが、福沢諭吉は犬死とバッサリ切り捨てている。てか、後醍醐天皇に尼崎から『この戦は必ず負ける。自分が生きていても無意味だから真っ先に討死にします。』てな書を送りつけていることから、位置づけとしては諫死だろうと思う。

 

 兵が集まらなかったとは言われているが、一説によると、負けると分かっていたから集まらなかったのではなく集めなかった。とも言われている。それと、後は死地に向かうのみとなった時、まだ動ける者達を布引の滝の方面に逃がしたりもしたとも伝わっている。

 ついでに三千人集まった勢力のうち二千三百人は桜井で楠公八臣のうち三人を正行につけて河内に返している。
 この時正行は既に青年武将で、年齢としては二十歳前後とされている。従って実際に今後を言い含められたのは正儀(まさのり)ではないかという話がある。彼は『太平記』では評が悪いが、史実を踏まえてみると果たしてそうか?と思える部分がある(晩年最後の戦の結果は目も当てられないとはいえ)。ちなみに正妻は怪力無双で有名な伊賀局。

 余談だが、この戦の後足利尊氏鬱状態に入っている。

 

 意外と知られていないらしいのだが、正成さんって実は文献に残る限り日本で初めて兵の訓練にランニングを入れた人なんだよね。

 文献の名は忘れたが、赤坂城の合戦だったか千早の合戦だったか、兵(地侍)に夜毎城の周りを千度巡り(ランニング)させていた。勿論自身も。

 挑発して逃げる時や夜戦時、(夜の闇に紛れて)ざっと散った。日中の戦闘で疲れている上に、騎馬戦が主だった幕府軍が、地理に明るく千度巡りで足腰を鍛え、闇を味方につけた地侍に追いつける・対等に対応出来るとは思えない。

 敵だと分かっていても見送ることしか出来ないって、かなり屈辱だと思う。

 

 あと、正成さんの姉妹のうち、一人は赤松円心の実弟・円光と結婚している。で、もう一人が結崎清次(ゆうさき きよつぐ)の実母と伝わっている(←本名で言うなよ)。

  結崎清次って、観阿弥のことです。1333~1384。勿論息子は世阿弥。本名は元清だが、貴族から藤若という名をもらっている。ついでに足利義満手ずから褒美に盃を頂いた。あってはならんことと周囲は止めたらしいが、義光は聞かんかったそうだ。当時の貴族の日記に"魂を抜かれるくらいの美少年"とか書かれるくらいだったから、さぞかし手元に置いておきたかっただろう。

 世阿弥は子に先立たれたり佐渡に流されたりと晩年相当不遇ですが、少年時代そうやって寵愛されたが故に、様々な方から教養を積まされたようで、作った能の演目数が50を超える。観阿弥が作ったものは2つだったかな?『卒塔婆小町』と『一言居士』(?)。まだあるかも知らんが、自分が知っているのはこれくらいだ。

 

 本日のお茶。

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 お茶はつゆひかり。

 お茶請けは麿さんと親しい御仁(自分は「わらんべ」と称している)から頂いた杏の加須底羅(カステラ)。美味しかった。そしてこれはカステラというよりはパウンドケーキ並みのへヴィさを誇る・・・・・・。

 ご馳走様でした<(_ _)>