昨日の不倶戴天の敵は 今日の刎頚の友

日がな一日世界の傍観者となって独り言をのたくった跡

天罰といふもの

 人によっては相当気分を害す内容かと思うので、受け付けられないと感じた場合は即退去して下さい。
 警告は致しましたので、読後のクレームは一切受け付けられません。

 

 

 物事を考えるにあたり、必要なのは多角的視点と地平線・水平線の引き方と高さ(枠内外における消失点の位置づけともいえる)、感情の排除、数字。

 

 それらを踏まえて考えられる人、自分を含めて物凄く少ない。

 

 ①一神教寄りの考え方

 ②消失点を下枠から除外(現代的にいうと衛星軌道上からの視点で物事を見る)

 ③感情の排除

 ④数

 

 これを下地にして考えるのなら、東日本大震災は懲戒的天罰と言える。日本人の宗教観や死生観だと「天罰=死滅的」という傾向になるので、この考えから外すために①のような書き方をした。

 懲戒的天罰は、大切なものを奪い去り、更に見えざる敵をあぶり出し、それらを大切なものを奪い取られた者にたきつける。

 ここから先に必要なのは、見えざる敵が引き連れてきた善悪定まらぬものものが連鎖的に巻き起こす現実。それらから当事者、傍観者、第三者達が”気づく”こと。何に気付くのかはその人次第。

 

 だからといってこんなことを被災者に言えるかというと、それは否だ。それはそれでまた別の問題だ(③)。

 数だから、数字だからこそ向き合える現実なんだよ、この震災の被害は。数値に置き換えてごらんよ?気、狂うぜ?(④)

 

 本日お茶の時間にそんな話をしてました。

 お茶はこんなだ。

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 サントンズだったかな?のトラディショナル。

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 前から飲みたいと思っていた岩手は中洞牧場の牛乳。

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 こういったもの。

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 お茶請け。

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 追加。三重県の。