昨日の不倶戴天の敵は 今日の刎頚の友

日がな一日世界の傍観者となって独り言をのたくった跡

迷子⇒光厳寺

 多分こっちの方だろうと秋川沿いを歩く。途中崖崩れにより迂回路を使えとの看板+フェンスに遭遇。フ ェンスを乗り越えるような真似はしないので、そのまま迂回しようとしたのだが、景色が綺麗だったので川の方に下りてみた。
 
 一歩間違えると川にしゃぽどしょんする位置にて撮影。

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 迂回路を使って出た先がここ↓。

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 先に進むと道が峻険に(滝汗)。

 

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 右側が川(つーか、崖)。左方向に進むと山に入り込むことになるので 迷わず直進。暫く画像のような道が続く。スニーカーだが比較的問題なく突き進む。そのまま進んでいったら街道に出たので、恐らくこちらの方向だろうと感じた方向に進んだら、案内看板が出ていたのでそれに従ったまでは良かった。


 看板を追う毎に読めなくなるという現象に突き当たる。再び迷子になるのか。と思っていたところ、ご近所さんに助けられまして無事光厳寺に辿り着く。百草園に行くのとどっちが辛いだろうか?というかなり急な坂を上らないとならないが、百草園に行くよりは距離が短いので比較的楽。


 途中で↓といったものに会う。一緒に写っているのは雪柳。

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 あきる野市を歩いていた思ったのだが、やたらとこの形の祠が目に付く。1軒につき1つあるんじゃあないか?ってな位に。中には大理石製だろ、コレというものも・・・・・。

 

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 光厳寺は字を見てお分かりになるかと思いますが、足利尊氏が擁した北朝初代天皇の名です。読みは「こうごん」。開基は足利尊氏で、1334年に創建。南朝側の三木一草を全滅させて後醍醐天皇を吉野に追いやった後ですね。結果的に天皇に弓引いちゃったわけだから、こっちも大義名分立てないと。という結果ですな。湊川の合戦の後、尊氏さんはかなり鬱状態だったようだが、この頃には回復したんだろうかな?

 

 目当ては樹齢400年以上とも言われている桜の巨木。都の三大巨木のうちの一つです。

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 ・・・・・・随分とんでもない所に生えておるなぁ(冷や汗)。一番大きいものがこれで、それよりも小さい3本は隣接している杉林(左)の中に生えている。うち1本が満開で、強風の為に目線とほぼ変わらない位置からペタルストーム!

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 一番大きいものは、幹周5.33m、枝振り東西25m、南北18m。残る3株は小さいとは雖もいずれも幹周は 2.5m前後。

 

 巨木の右側には品種違いの桜が2本。そのうちの1本。

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 更に隣にやはり満開で品種違いのがあったのですが、根元に人が座ってくつろいでいたので写真は撮って いない。桜の木の左側の下は↓な光景。

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 近くで鶯も啼いていたので非常に長閑でした。自分の他に夫婦が一組、御 一人様が四名。うち二人が三脚使って撮影。

 光厳寺の中には天保の飢饉を救ったと伝えられている文化財がありました。

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 しっかしまた、何でこんなところに創建したんだか(←山の上だからに決まってんだろ)。

 あと、近くに戸倉城址がある。室町時代から戦国時代に掛けて築城された城。武州一揆の一員であった小宮氏が築城したとのことらしいが、詳細は不明なので室町から戦国となっている。
 ここに行こうとしてやっぱり迷子になって、戸倉城址には結局行けなかった。どこに迷い込んだかのは次に送る。
 光厳寺の結界は、後ろから首の付け根を軽く持ち上げられ、それが故につま先が遊んでいるような浮遊感のある落ち着きのない感覚でした。

 

 本日のお茶。

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 ウィッタードのロイヤルティーのミルク。
 お茶請けは母から頂いたドーナッツ。恐らくタリーズのだと思う。