昨日の不倶戴天の敵は 今日の刎頚の友

日がな一日世界の傍観者となって独り言をのたくった跡

元ネタは夢ですが

 今回も『太平記』路線。元ネタは夢なので、結構曲解しているかもしれないなぁと思う。
 前回は新田義貞。今回は佐々木導誉(道誉)。
 
 楠正儀と佐々木導誉を結びつけたのは猿楽師達らしい。正儀は血縁関係から、導誉は壇越(?)関係からと言われている。
 芸能関係者は神事にも結びついたり情報伝達にも結びついたりと、人との絡みが活発化しているニューロンのようなので、関係を持っていると役に立ったんだろうなと思う。尤も彼等にとってのメリットというものをどこまで引き出せるかという技量もモノを言うだろうけれど。

 

 後世ろくな書かれ方をしていない正儀さんだが、南朝の士気が高い時に北朝に寝返り、南朝の凋落が免れないという時に帰朝して、楠一族では40年以上に渡って和平の上での南北統一を目指したってーのに、この人もホント人材には恵まれなかったんだな。と思わずにはいられない。個人的には正成さんに一番近いと思う。湊川の合戦の時6歳だったようなので、彼に父親の記憶がしっかりと残っているかは分かりかねる(正行は二十歳前後、正時は11歳?弟3人は分からん。朝成は生まれていたのかどうかも分からん)。

 翻って導誉は、やることなすこと無茶苦茶なとこはあったにせよ、文化の大成者(文化的英雄)であることは間違いない。ついでに刀剣で導誉一文字というのがあるが、彼が好みそうな感じが伝わってくる。

 

 して、前回とは異なり今回の言葉運びは古典的というか、本来の意味で使って展開しているのでいつも以上に分かりにくいかと。