昨日の不倶戴天の敵は 今日の刎頚の友

日がな一日世界の傍観者となって独り言をのたくった跡

相も変わらずつまらんことを

 メールを整理していて出てきた。平成26年8月14日に出したもの。

 つまらん内容なので読み飛ばし可。アップした理由?気まぐれだよ、ただのな。

 
 大したことじゃあないんだが、昨晩NHKが戦争絡みの番組を組んでいたんよ。新たにっていいのか分からんが、アメリカが撮影していたペリリュー島の戦いの記録フィルムと日米の生存者のインダビューを交えた構造になっていた。全部見たわけじゃあないんだけど、当時の撮影者で最後の生存者が「どこにあったんだ!?」と言っていたのが印象深かった。
 
 長くても2、3日で陥落すると思われていたようだが、とんでもない。ファンタジーの中ではよくある両軍の精鋭部隊の激突って、現実世界だと最後に戦場に立つのは鬼伯だけだね。3千人を投入して行われた初戦の損耗率60%ってナニ?つか、映像見て思ったけど、あんなの相手にした くない!!そりゃー気が違ってきて当然だよ。感覚を麻痺させなければ生きられない世界。尤もそれは戦場だけには限らんけどね。
 
 あと、東京都が戦争の資料館を作ろうとして、16年その計画が凍結されたままなのだが、中立の立場を取ることって当事者ではないにせよ、難しい事なんだろうね。てーか、資料館なんだから当時の価値観を等閑にするわけにはいかんだろうに、どうしてそれを戦争を正当化するとか美化するという考えに結びつけるんだろうか?そこが理解出来ない。説明の仕方によったらそうなるのかもしらんが、物はただそこに在って自身の経緯を語るだけ。そこから物語を汲み取って自分の基準で消化するのは資料館の役割ではなく、むしろその人(スキャナー)自身なんだけどなぁ。
 個人的に自虐史は否定しないけど(逆手に取るということを前提にするけど)、それを下地に強迫性概念を植え付けるのは反対だね。
 
 戦後の生まれだから敢えて言う(←って、○○もそうだろう)が、太平洋戦争に限らず戦争に関してはただ累々とした事実があるだけで、戦争が始まってやがて終わったという真実(史実)しかない。と思うんだよね。いわゆる中抜け。その中を充填するのは史実を手にした人だが、史実に肉を付けるかつけないかは結局個人に委ねる他ないと思う。ただ、善か悪かの二極でしか判断できない人や感情に振り回されやすい、影響されやすい、自分の判断基準がまだない人には触れてほしくないなと 思わざるを得ない。
 
 長くなった割りには内容が薄いが、てーか、ただの感想文だが、書きたいことは書いた。
 まーそーゆーことです。では。
 
 内容がないよう(←殴)。
 キラズなんざ、所詮はこの程度のヤカラです・・・・。
 
 本日のお茶。

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 お茶は静岡県のやぶきた紅茶。
 お茶請けは最近よく見かける大人シリーズ。画像のはチョコバットの大人版。 製造は三立製菓さん。

 チョコバットにはたまにお世話になっとる。駄菓子屋通っていた頃はよく食べていました。

 もう一つのお茶請けは東京都東村山市は栄光堂製菓さん製造、同江東区はエースさん販売のレーズンサンド。