昨日の不倶戴天の敵は 今日の刎頚の友

日がな一日世界の傍観者となって独り言をのたくった跡

名刀礼賛 もののふ達の美学

 場所は泉屋博古(せんおくはくこ)館の分館。物凄く久し振りに南北線に乗って六本木1丁目駅で降りましたよ。別に神谷町駅でも溜池山王駅でもいいのだが、ここが一番ラク。改札出て徒歩3分だし。神谷町からも行ったことあるが、意外に坂きついんだよね(スウェーデン大使館かスペイン大使館を目指せばいい)。


 館にやってきたのは兵庫県西宮市にある黒川古文化研究所の一大コレクション。名刀の他、刀装具、そして武士の描いた絵も登場。殆どのものが東京では初公開。

 

 平安時代から江戸時代までの太刀や刀が展示されていましたが、メインはやっぱり鎌倉時代♪備州の絡みだと室町時代に本領発揮となるので、勿論南北朝期も含まれる。
 鎌倉時代で刀剣と言ったら、絶対外せない御仁が居りますな⇒後鳥羽上皇。この方外して何語れってんだ。

 

 単眼鏡の貸し出しも行なっていたが、自分は借りなかった。
 こういった展示でよく見掛ける方もいらっしゃれば、子連れの母親なんぞもおり、意外に老若男女バランスが取れていました。熱心にメモを取っているのは女性が多かったですが。
 コレクションは勿論黒川古文化研究所が一番多いのだが、泉屋博古館(本館?)が所蔵しているものもあり、個人蔵の物もあった。

 

 太刀がねー、もう充実していてねぇ~。やっぱ古青江はいいねぇ~♪場所柄なのか大和五派が多かった。無銘ではあるものの、菊御作とされている太刀も一振りあった。
 鎌倉時代は一文字派が隆盛していたこともあり、後鳥羽上皇の御番鍛冶12人のうち7人がこの派の刀工。で、菊御作は相槌を務めた刀工によって作風が異なるということを初めて知った。他の刀工さん達でもこういったことは普通なんだろうか?

 

 あ、来(らい)派も三振りばかり来ていました。
 来派といえば有名な来国俊ですが、彼が作刀したものは来国俊と銘を切っているものと、ただ国俊(二字国俊)と切っているものがある。
 彼は鎌倉時代の刀工なのだが、同じ人物が違う銘を切っているのか、はたまた別人なのか未だに分からないそうだ。同じ人物が切ったものなら、その目的は一体なんなのか?別人なら何故こうも似ているのか?なぞは色々尽きない。この議論、この先決着はつくんだろうか?ついでにその議論は室町時代から始まっている。


 来派には国行という刀工さんもおり、この方が百日精進して打った名刀「面影」は、『太平記』に出てくる長崎為基の佩刀です。
 ふと思い出したのが、今年行方不明になっている南北朝期の太刀、蛍丸が作刀されましたね。復活させたのは美濃の鍛冶だったかな?作風違いじゃんとツッコミたいのをぐっと堪え、本物はどこへ行ってしまったんだろうか?戦後の米軍の刀狩は相当ひどかったと聞いているから、やられている可能性が高いんだよね。お持ち帰りされるだけならまだしも、ガソリンぶっ掛けて燃やして海洋投棄とか、どこぞの賊なんぞよりもよっぽど性質が悪いわ。

 

 刀剣といって欠かせないのが本阿弥家。元々無銘だが「伝~」となっているものの殆どは本阿弥家が鑑識して結論付けをしている。
 そしていかな本阿弥家とは雖も、名刀全てを網羅しているわけではないので名刀図録の代表格とされている『享保名物帳』にも掲載されていないものもあるので実はまだあるかもしれない。らしい。『享保名物帳』には236口の名刀が記録されているとのことだが、そのうちの78口は大阪の陣、明暦の大火によって焼失しているそうだ。
 ついでに明治の文明開化や二次大戦がなければ、もっと様々な物が残っていたに違いないだろうな。明治の文明開化もダーイシュも真っ青な文化破壊をやってのけようとしたからな、日本は(全壊手前で止まったようなもんだが)。

 

 新刀、つまり慶長(1596~1615)以降の刀のことなのだが、流通の発達したので素材の鋼の地域性そのものが薄れてきているので、刀工の個性や腕が全面にプッシュされる。あとは刀装具を観賞や創作させるにあたり、より一層教養が求められる形となる。
 新刀は少なかったものの、レベル高かった。何てったって国包(くにかね)、井上真改(いのうえしんかい)、乕徹(こてつ)が来てたからね。

 

 刀装具は鍔や鞘、拵えといった枠組み以外に家彫と町彫に分かれていました。
 家彫と町彫の違いは、ざっくしと説明すると、将軍家御用達か否か。後期になると変わってくるのだが、制約を設けることによって格式と伝統を作り上げたのが家彫。後藤家という。普通に戦にも参戦しているので、彫り物だけをやっていたわけではない。
 町彫は元禄以降に出現した彫り物。格式の枠を飛び越えて自由にやったり好みの物を作ったり。という流れ。天下泰平の賜物ですな。横谷宗珉(よこやそうみん)が開祖。で、かの有名な絵師、英一蝶(はなぶさいっちょう)にデザインを頼んだこともあり、英一派とは関係が深い。

 

 これが後半になりますと、一宮長常(いちのみやながつね)が生写という、実に生き生きとした彫り物を展開して双方が参加という形になった。趣味を突き詰めて気違いの領域までイッちまったとも言えましょうな。カッコ良く言うと超絶技巧躍進。ってトコだろうか。

 

 拵えは教養ないと読み解けない(苦笑)。ここにも太平記ネタがあった。後醍醐天皇と桜と漢詩児島高徳。とくれば、有名なあのシーン♪当時の武士の教養レベルを知っている人なら、児島高徳に対して「あんたは一体何者だよ!?」とつっこまずにはいられない(笑)。

 

 最後は武士の描いた絵画なのだが、ここだけ前期後期の入替があったようだ。
 誰が何と言おうと、見ておくべきは椿椿山(つばきちんざん)の絵画。《玉堂富貴》はとても好かった。どんなのかというと、ハンギングバスケットに牡丹、藤、辛夷と多分海棠が活けられている。といったもの。
 他には関口雪翁の《雪中竹図》。水墨画なのだが、線のシャープさが好ましい。
 ここのコーナーには意外な方々が名を連ねておりますので、なかなかに面白かった。

 

 ショップの方にはこれといった品揃えはない。ただ、自分としては季節の文香があったので、初夏と夏どちらにしようかと悩んだ挙句、夏を購入して帰りました。

 

 ・・・・・・帰り、驟雨というか雷雨というか、どしゃ降りに遭い、しっかりと降られて帰宅しました。
 幸い(?)習い事はなかったので、そのまま即風呂行き。しかしながらその後食事の支度をしたので、風呂に入った意味があまりなかった。つか、暇ならやれよ!!(母以外)

 

 本日のお茶。

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 お茶は鹿児島の水出し紅茶。
 お茶請けは北九州市は梅園さんの河豚最中。母がお土産としていただいたもの。
 どなたか存じませんがご馳走様でした<(_ _)>
 
 ところで北九州市って何県?佐賀県ですかね??

 

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 河豚??

 あたしゃ(←・・・・)尻尾のない鰹に見えましたよ。

 ガッツリ系。お茶の量は丁度良かった。

 

 最中あまり好きじゃあないんですが、これは皮も自分好みだった。