昨日の不倶戴天の敵は 今日の刎頚の友

日がな一日世界の傍観者となって独り言をのたくった跡

母と共に

 久々に施設にいる母方の祖母の所に行ってきた。  寝たきりではないが、介護度5の祖母。記憶が繋がったり途切れたりしている。

 自分の事はもう覚えていないし、言葉もだいぶ忘れてきてはいるが、それでも冗談言ったり笑ったりすることは出来るし、自分の名前をきちんと認識している。

 

 一族の中で一番先に鬼籍に入るといわれていたが、結局一番長生きしている。

 母曰く、祖母の兄弟(祖母は上から2番目で長女)で祖母の母、つまり自分からすると曾祖母と同じ年に亡くなった方がいるのだが、今年か来年で50回忌となるとのこと。

 本来は弔事であるのだが、弔事と同時に慶事でもある(子供がそれだけ長生きしているってことだ繋がるかららしい)。なんだか複雑な心境である。立場としては第三者的なのに。

 

 老人医療や介護の問題について様々な事が言われているが、尊厳死の議論ならともかく一定以上の年齢の人達(或いは認知症になった人達)を全て労害と称し、強制安楽死の実行を提唱しているトモガラがいる。

 強制的に生かされている人達や老老介護や介護疲れによる犯行などを見てきたからこうなるのならまだ分かるが、そうじゃあない者等は一体何を思ってそうなるんだろうか?

 

 これって、所謂優性思想とかいうヤツ?それとも別の何かか?

 

 ・・・・それにしても、10人の子は1人の母すらも養えない。とは言ったものだな。これはアラブの諺だが、介護問題は古来から連綿と続くものと見える。

 医療と死神、最終的に死神が勝つにせよ、何とかならんもんかなと思う。その「何とか」というのがよく分からない状態ではあるのだが・・・・・・。

 

 本日のお茶。

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 お茶はウバ。かなり薄めに淹れた。

 お茶請けは麿さんから頂いたビスコと、新潟県新潟市は内山藤三郎商店さんの昔クッキー、レーズン味。

 

 昔懐かしいとあるが、新潟の人にとっては懐かしい味なんだろうか。自分からするとこの味はその域内にはない味だ。

 味は、すんなりと食べ易い焼き菓子です。そう強くないのでつい食べてしまう。