昨日の不倶戴天の敵は 今日の刎頚の友

日がな一日世界の傍観者となって独り言をのたくった跡

芳年 激動の時代を生きた鬼才浮世絵師展に行ってきた

 今度は間違えないで行けました(←前回東武線の中板橋に行ったヤツ。ここは西武線中村橋駅が最寄駅)。

 

 落合芳幾展と同じでそう点数は無いだろうと思っていました。

 

 ・・・・甘かったぁーっ!!

 

 展示数260点超ってナニ?(いや、まんまだろ)。

 落合芳幾に比べて名は知られているものの、やはりこの人もよく分からない位置付けで、未だ明確な格付けがなされていないようです。

 てか、血みどろ絵が有名になり過ぎてしまい正確な評価が下されなかったといった方が正しいか。  

 

 実家はお米屋さんらしい。で、本名米次郎。ってことは次男なんかなぁ?

 12歳で国芳門下に加わり、15歳のデビュー。なのに、いきなり大判錦絵三枚続。ぅわぁ~(滝汗)。ちなみに描いたのは《文治元年平家の一門海中に落入る図》。

 二位の尼安徳天皇、例のブツ背負ってる平知盛(お馴染みですな)、そして当代最強の武人こと、能登守教経。

 あ、例のブツって!?と思った方⇒碇。

 

 『平家物語』って、乳母兄弟と厚い関係であることが多く共に最期まで。という流れが多い。

 軍記モノって最期まで共にという御仁達は「オマエラ暑苦しいわっ!」というのが多い気がする(背中預けてんだから当然かもしらんけど)。

 

 話逸れたので元に戻って、やはりここでも自分の浅学さを思い知ることになった。藤波由縁之助とか白井権八とかならまだ分かるが、弼宰相春衡(はつさいしょうはるひら?)とか幡随院長兵衛とか言われても分からぬわ。正に無知丸出し~♪

 

 解説にはなかったが、江戸から明治時代に移行するにあたり、印刷技術の向上やインクの色数の増加なんかあったのかな?と思わせるような作品も結構ありましたね。

 どこがどうと明確な説明はしにくいのだが、目が何か違うと違和感を覚えた作品も多かったので。  

 

 明治時代の作品は西郷隆盛が描かれているものも多かった。が、いずれも顔が違うのでどれが一番本人にい近いんだろうか?と思った。

 あと、上野周辺が戦場になって死体の山が築かれた時、芳年は実際に現地に行って現状を目の当たりにしているんだよね。

 それは、絵師(クリエーター)としての衝撃的行動というヤツだろうか。戦場ジャーナリストが分かっていて紛争地域に乗り込むといった心境に近いんだろうな。

 名誉とか名声とかそんものじゃあなく、唯純粋に知りたいという、興味本位が排除された知的好奇心がなせる業(わざ)とでも言おうか。

 真実は闇の中だが、唯一つ、それは彼の今後に大いに影響を与えた。それに確実に精神を蝕んでいった要因でもある(この後精神病を患っている)。  

 

 今回、今まで見た事もなく、強く印象が残ったのが《東名所隅田川梅若之古事》。能の《隅田川》という演目もこの古事に由来している。

 その古事は、京で人買いに攫われた梅若丸を捜し、狂女と成り果てた母親が隅田川までやってきて、そこで病死した我が子の墓塚が地元の人に大切にされていることを知る。そういう話。

 その他にも印象に残ったものありましたが、《演劇改良 吉野拾遺 四条縄手楠正行討死之図》とか《伊勢海老に鼠》とか《小町桜の霊》とかとか。でもやっぱり初述のが一番印象に残った。

 

 見終えて外に出たら暑かった。

 ついでにここ、練馬区立美術館に隣接している幻想墓動物園公園?は、普通の公園とは異なり一風変わっているので、それを体験するのもオススメ。  

 

 本日はいつものパターンを踏襲し、そのまま力尽きました。

 ただ、デザートに太陽プラムときよか(ホワイトプラム)とケルシーをわっしわし食べておりました。

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 これな。