昨日の不倶戴天の敵は 今日の刎頚の友

日がな一日世界の傍観者となって独り言をのたくった跡

日本の中世文書展と紀州徳川家伝来の楽器―琵琶Ⅱ―展に行ってきた

 本日快晴なり。寒かったけどね。そして天文学的満月。

 

 でー、行ってきた。脳は逝ってしまったが。いや、だってなぁ、密度濃ゆ過ぎや。特に学のない自分にとっちゃあな。
 比較的高齢者が多かったが、若いのも結構いた。若いっても高卒・大学生以上だが。
 あ、場所は千葉県の佐倉は国立歴史民俗博物館です。県外の博物館・美術館の中では比較的よく行く場所である。

 

 今回の副タイトルは機能と形と国際比較。良くも悪くも影響力のある中国大陸から周辺諸国はシステムなど色々と取り入れている。勿論逆もあるが、ここでは触れないでおく。

 

 展示構成は以下。
 第一章 古代の文書 
 第二章 中世の文書へ
 第三章 武家文書の様式
 第四章 契約と社会集団
 第五章 書状と印判状
 第六章 外交の文書とアジアの文書

 

 第一章では文書にはどんなものがあるのか。差し出す場所や身分によって起こしや結びなどが異なるのでそれの説明。古代分野だけあり、木簡もありました。そして大伴家持さんの自筆もありました。
 様式自体は中国の官僚制と共に伝わっている。その他朝鮮半島にも伝わっているのだが、半島の年号は厄介。冊封国家とだけあって、大陸と年号が同じ。そして漢字圏なのでぱっと見どちらの文書か分からない。

 

 第二章はザクザクと簡略化されてゆき、メモや私的な文書が公文書化していった経緯を紹介。院宣と綸旨もあったぜよ。院宣後鳥羽上皇と厳光上皇のが、綸旨は後醍醐天皇と後厳光天皇のがありました。
 北畠顕家の国宣(朝廷から一国の支配権などを与えることが書かれた公文書。元々の意味は割愛する)もあった。尤も彼は判を押してあるだけだが、興味深いことが一つ。
 建武政権下で恩賞充行(あてがい)権を広範に行使できたのは、後醍醐天皇北畠顕家の二人だけだった。と!流石、満歳四歳で殿上人になった人は違うね(←言及範囲違くね?)
 誰でも知っているような人物の直筆は、源義経がいました。

 

 ここの章にはベトナムの公文書も展示してありました。元漢字圏のベトナムですが、どんどん難しくなっていったのでアルファベットになったとのこと。文書は十七世紀のものでしたが、この頃のはまだその兆候は表れていませんでした。素人目に見ての話だが。
 朝鮮半島のもあったが、こっちはより中国に近いようで、朝鮮と書かれていなければ分からなかった。

 

 第三章は楽しみにしていた章でもある。 
 軍忠状を目にすることも出来た♪
 
 して、文書には公家様と武家様があるのだが、鎌倉時代辺りから徐々に公家様が姿を消していきます。中には双方宛先によって使い分けている人もおりますが。
 花押の大きさやどこに書くかによって、また紙によって発信者の権力の強さや相手に対しての敬意の度合いが分かるという。鎌倉幕府と朝廷とだと朝廷の方が権威や身分は上なので、そこは注意して書いたと思われる。

 

 この章は有名人がたくさんいました。源頼朝足利尊氏、直義、義詮、義満、高師直赤松円心など。教科書に掲載されるレベルの人以外でも、その時代に詳しければ「おや?」ってな人も多かった。あと島津氏に絡む文書がとても多かった。
 個人的に(* ̄▽ ̄)フフフッ♪とか思っていたのは、尊氏さんが鎌倉公方の基氏くん(尊氏さんの四男)の政治経験不足を案じ、先んじてサポートをしたことが分かる文書。

 

 ここではどちらの年号を使っているかによって、その人が南朝側なのか北朝側なのかが分かります。が、一時的にこっちについていたというのが多いので、細かい年間まで掴むことは出来る半面、その節操の無さに呆れることうけあいです。

 

 第四章は土地の売買や一揆の起請文に関するもの、寺院の文書、年号改元についてなどについての文書がたっぷり。
 鎌倉時代には女性領主も珍しくなく、また卑金(お金について口上する事ははしたない)思想なども根付いていないので、かなり盛んに行われていた模様。
 女性が書いているのはかなであることが多く、また花押をつかっていないので比較的読みやすい、かねぇ…?
 男性でも花押を持っていないものや百姓などは署名をする時、判子を使っていたり〇や×で意思表示をしていた。字が読めないせいなのか、判子の押し方が変なものもありました。

 

 第五章はいきなり後土御門天皇後醍醐天皇の直筆の文書が…!!後土御門天皇日野富子宛てに、後醍醐天皇は東寺宛てに書いている。かなと漢字で比べようはないのだが、個性出るよな~。と思った。
 その2点が終わったら、あとはひたすら戦国大名達の文書。六角氏、伊達氏、毛利氏、今川氏、大友氏、細川氏、真田氏、武田氏、織田氏、石田氏、豊臣氏などなどとまぁ、全て教科書に載る人達ばかり。
 面白かったのが豊臣秀吉。権力が増していくにつれて如何に文書が変化していくのか。というコーナーが設けられていたので。
 花押の他に判子もあり、文書の中には(文章は代筆で問題ないが、)目が悪くなったので花押ではなく判子だけれど許してね。ってな書き込みがあって判子が押されていたものもあった。花押も個人限定ではなく「家」がその花押を代々受け継いでいくというところもあった。

 文書の書き方は日本独自なのだが、何故か判子の押し方だけが国際基準に則っている家もあった。

 

 紙の折り方や素材によっても格式などがあったが、竹紙を使って書かれているものは現在確認されているのは1点だけだと。日本の文書で竹を素材としているものがそれしかないのは、日本は竹で紙を作っておらず、竹紙は輸入品だからなんだそうな。つまりそんな貴重品を使ってられっか。ということだ。
 
 最後は中国、朝鮮、琉球ベトナム、イラン、東南アジア、欧州と日本が交わした外交文書が一挙公開。鎖国前の日本はそれはそれはミックスチュア~な感じだったようです。今そんなことしたら、自殺行為以外のなにものでもないけどな。
 絢爛豪華さは中国が、紙の大きさは朝鮮が、意地の見せ方はベトナムが、奇妙なものはイランが目を引いていましたね。
 そんな時代を経て明治時代から現在へと、古代から今にまで残る影響なり形式なりを辿って終了。

 

 その後常設展示に移ってちょろちょろしながら(企画展示に絡むものもあった)、紀州徳川家伝来の楽器―琵琶Ⅱ―展を見た。ちなみにⅠは8年前に開催されたとのこと。
 小さな展示室で、見るだけなら5分くらいで終わってしまう。

 以前ここで龍笛の展示を見たが、その時に最も古いのは鎌倉時代のものだった。今回最も古い物は8世紀?か??他は室町時代のもの。


 それはさておき、今回琵琶を蒐集したのは紀州徳川家の第10代目徳川治宝(はるとみ)。自身でも琵琶、和琴(わごん)、笙などを奏すし舞楽も舞う。それに和菓子の世界でもその名を残している。尤もそれだけにとどまらないマルチクリエーター的なお殿様である。日本語でいうのなら数寄の殿様。
 楽器には詳しくないので、さらっと見た後帰途につきました。
 ここまでの所要時間が5時間くらい。

 

 往復に京成線を使うのだが、成田空港から上ってくるのでえっらい混むんだよね。行きは兎も角、帰りは地獄じゃ。

 

 本日のお茶。

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 ってか、お茶なし。
 飲まず食わずで出てきて、本日初めて口にした食品。
 熊本県熊本市は永田パンさん製造、東京都港区はノムラディベロップメントさん販売のうさぎあんぱん。芝の明神前の御菓子舗で愛された饅頭が現代に生まれ変わったものらしい。
 なかなかに重かった。

 

 その2。

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 お茶はスコティッシュティータイムのミルク。
 お茶請けは福島県二本松市は星野屋さんのバターどら焼き。と千葉県千葉市はオランダ屋さんの千の葉パイ。千葉県産の落花生使用+千葉特産の下総醤油を使用。なので、ちゃんと醤油味。


 どら焼きはストレートなら合ったかもしらん。千の葉パイも合わなくはないがストレート向け。

 

 飲食をしないで動作していると、自分は体脂肪が跳ね上がるようだ。恐らく生き残ろうとする防衛本能が働くんだろうね。