昨日の不倶戴天の敵は 今日の刎頚の友

日がな一日世界の傍観者となって独り言をのたくった跡

未来予想図、ねぇ…

(この行を消して、ここに「私の未来予想図」を書いてください)

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 自分自身に関しては、生きてようが死んでようが、苦しんでいることには変わりないんじゃないかな?オマル・ハイヤームののルバイヤートじゃあないけど、この世が苦しみに満ちていると知っていたら、誰が生まれてこようと思うか。という意の詩があるくらいだからね。

 

 それはさておき、今自分が携わっている仕事ですが、今後も携わっていくのであれば、楽にはなると思うがなくならないと思う。正直PCと連結するのが当たり前になり、デジタル化してどんどん時間短縮されていっているが、アナログ派の自分としてはつまらない。

 何がつまらないかというと、作業が単調化され過ぎる。本来なら五感を使ってやるべきことなのだが、そうでなくなってきている。想定外の事象に対応出来るのだろうか?

 単調化され過ぎるという言葉の中には、個々のレベルのばらつきが無くなり、均質化される。

 それって、成長が感じられないもしくは感じにくいことに繋がらないかね?もし成長が個人にとってやりがいと感じている場合、そこに執着する必要はなくなるから、身軽になって却っていい結果が生まれる??フットワークが軽い人ならそうだろうが、そうでない人はどうなるのだか…。

 

 悲観主義者ではないが、どーも自分物事をネガティブに考えるクセがある。楽観的という偽装をした自己欺瞞が出来ないとも言い換えられるが、ネガティブな事象に対して準備や用意が出来ているかというと、否。なので、ただ単にネガティブなだけ。

 そういったせいか、未来は灰色になるとしか思っていない。未来が自分の努力でどうにかなるとは思えないからね。もし自分でどうにか出来るのなら、自己責任とかいう言葉で片付けられている、貧困からの脱出だって、定職に就く、病気にならないってのも今よりも比較的簡単に問題解決するはずだろ?

 

 世の中どんどん便利になっていくが、その便利さの中で何が犠牲になっているのか。何を得ているのか。誰が支えているのか。これはこの先も続くのか。考えるだけでも嫌になってくる。

 異なる価値観との研磨が増えていくのかもしれないし、そもそも接触自体を拒否することが可能になるかもしれない。こういった状況で成長(?)するのは、所謂すぐ役に立たないものと一蹴されている教養や、飯の種にもならないと言われている哲学などだろうな。

 

 何かお題に沿っていない気もする。ごちゃくちゃ書いていても仕方がないので、強引にまとめてしまうが、自身が思う未来は決して明るいものなのではなく、両極にあるものが更に引き離されていく世界だと思う(希望もなければ絶望もない中途半端な世界である可能性もある)。

 そして今確実に言えることは唯一つ。

 

 来年のことを言うと鬼が笑う。ってこった。

 

 あ、本日お茶はしていない。