昨日の不倶戴天の敵は 今日の刎頚の友

日がな一日世界の傍観者となって独り言をのたくった跡

そんなに正しいというのなら

 何故に調べることすらままならないのか。

 

 国家がそれを正しいと教育するならば、それはそれで結構。でも調べられないのは何で?
 〝正しいコト〟をしたんだよな?当世の時代背景を含めて考えたら、現在では正しくないことでも保存されるべきものなら調べられるはずだがね?尤もそこに含まれるであろう、虚構と嘘と捏造などには十二分に注意し、かつ検証などが必要だが。

 

 歴史を見るにあたり、視点が一つしかないというのはあり得ない話だが、軸点(中心点でも起点でもいいが)は作らなければならない。それを修正したりぶらすたりすることは悪なんかなぁ…。
 ただ、時間の経過具合によっては、外野がとやかく言うことではない分野があるにはあるので、事ある毎にせっつく気にはならん。

 

 画像はないが、本日のお茶。
 19年はダージリン1st、シンゲル茶園?のモーニングミスト。
 お茶請けは岩手の田むらの梅。
 相性ばっちし♪