昨日の不倶戴天の敵は 今日の刎頚の友

日がな一日世界の傍観者となって独り言をのたくった跡

例えばこんな可能性

f:id:runningwater:20140809030140j:plain本日のお茶は静岡茶。お茶請けは頂いた英国はウェイトローズさんのヘイゼルナッツとチョコレートのクッキー。7枚入りで4枚を麿さんのところへ。

 これを輸入しているのがイオンなのだが、今回取り扱い見直しのため消えてしまうかもしれないとのこと。行動圏内にイオンはないので買い物はしないが、あまりここいい評判を聞かない。

 

 それはともかくとして、現在ドラえもんが映画公開されていますね。器官の関係で映画を見ることが出来ないのだが、興味はある。・・・・・・で、ふと思った。

 ドラえもんは22世紀から来た設定。今30代までの人達は、その22世紀という世紀を垣間見る事ができるかもしれない可能性を持った世代だという事。20世紀の生まれの所為なのか判らないが、21世になった感覚が自分にはない。意識の延長線上に20世紀と21世紀の違いや明確な境目がないからだと思う。

 そしてただの数値として見ていったのなら、 自分がその時生きていようといまいに関わらず、22世紀はそう遠くない未来なのだと感じた。

 だが、22世紀までのカウントを数としてみた場合は、まーなんとも言えず胸中複雑になるね。