昨日の不倶戴天の敵は 今日の刎頚の友

日がな一日世界の傍観者となって独り言をのたくった跡

裏切りという名の矯正

 現在ヘイとスピーチの法規制がどうのこうのといっているようだが、法的規制を敷いたとしてもどうにかなる問題じゃあないと思うんだよね。都心に住んでいながらそういったものを1度も目にしたことがないというのは、ある意味幸せなんだろうか?(自分は一般労働者だよ)

 それともただ単に興味がないから、引き合わないからなんだろうか?正直ヘイトスピーチやそのカウンターデモ、そもそも示威行為自体興味ないんだよね。これについては世の中に興味ないんだね。と言われても構いやしない。

 事が大きくなればなるほど、その状況を利用しようとする輩(ともがら)との接触機会が減ればそれに越した事はないからさ。

 

 してまぁ・・・・・・、一体どこからがヘイトに該当するんだよ!?言葉の感じ方なんぞ人によって異なるだろうがよ(←落ち着け。いーから落ち着けや)。

 

 社会に不満を持たない人なんてそういないとは思うのだが、それを歪んだ形で排出する人達というのは、タイトルのようなものと対峙したことがないのではなかろうか。と思うことがある。

 自分が作り出した既成概念、理想、経験に基づく結果、妄想の現実が、現実世界の裏切り(矯正)にあった時、容認も許容も受け止めも出来ない(またはしない)。・・・・・つまり、葛藤するという事を避けて通っているのでは?と感じている。

 葛藤をしないのもしすぎるのは行き着く先は思考停止でしかないと思うのだが、「考える事・思考行為」て、そんなに面倒なことですかね?思考停止ではなく、自発的な思考行為に至れるという余裕を持っているだけ、幸せなことなんだと思うけどね。

 

 こういう時って、語彙力のないというか文章構成センスのないのってつらいよなぁ。まんま頭の悪いヤカラの戯れ言かしとらぁ・・・・(滝汗)。

 

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 お茶は茎焙煎。

 お茶請けは本来真ん中のedoccoのカスタードだけだったんだが・・・・・・。あ、製造は広島県三原市八天堂さん。販売は東京都は台東区ののれん会さん。

 麿さんが「消費期限が昨日だから逝っちゃってくれぃ♪」てなことで押し付けられ・・・・むぐむぐ。頂いたモロゾフさんのプリン類。さーすがに晩ご飯の後にこれだけの量を入れたので、もたれた。というよりも、吐きそうになった(←そりゃーオマエ、時間ってーもんを考えろや)。