昨日の不倶戴天の敵は 今日の刎頚の友

日がな一日世界の傍観者となって独り言をのたくった跡

国産テロ

 英語だとホームグロウンテロ。
 これが以仁王(もちひとおう)蜂起のようにならなきゃいいんだが。
 
 8日の話ではないが、ネットもその因を担っているなと思う。
 ル・モンドだったかなんだったか忘れたが、フランスのメディアに、フランスの15歳の少女(移民ではない)がネットを通じてイスラム国の人間に勧誘され、実行失敗して当局から監視状況に置かれ更生するまでの手記が掲載されていたが、その手口に絶句した。
 勧誘した側は何を信じて、勧誘された側は何が変わると信じて呼応するんだろう?無宗教ではないが、そう信仰が篤いわけではないので疑問を呈せずにいられない。

 

 あと、かなり厳しく人種差別が禁じられているドイツで、移民やムスリムが排外対象として攻撃されている(イスラム国そのものよりも手近な人を対象にする方が楽だからね)。
 で、そのデモに対してのカウンターデモというのがあるのだが、デモ隊同士で今まで以上に血を見そうな気がする・・・・・・。
 そうなると、一体「表現の自由」とやらは「どこまでが」赦されるんだろう?(当地・当世の状況の)価値観や倫理観が異なれば、悪すらも正義に染まるしその逆も然り。

 

 これは裏づけが取れたものではないのだが、射殺された彼等(特に兄弟の方)の状況を報道で見て、これが始まりの合図に過ぎないと思う。欧州ではあぁいった態度を取ってはいるが、こういった状況を望む人達が少なからずいるのではないだろうか?と思えてならない。


 日本も無縁ではないが、日本人に対して少なくとも「イスラム=悪いもの(負のイメージ)」といったような判り易い図式を刷り込むことに成功したと思える(←なぁ・・・・、一体誰が?)。日本にいる日本人で、イスラム教徒と話したことある日本人の方が圧倒的に少ないわけだから、刷り込むのは容易いわな。
 ん?オマエはどうなんだって?あるよ。日本語でだけど。で、やっぱり欧米のメディアを通して世界中に発信されるニュースに対し、危機感を持っていた。ただ、イスラム教の場合はキリスト教ユダヤ教のように組織が組み上げられていないから(あってもまともに機能するまで非常に大変なのだとか)、ストッパーになる部分がなく暴走し易いのだそうだ。


 イスラムの場合、より厳格な原理主義や過激派が派生した理由の一つに、時代に合わせて変容したが故に抉りきれない腐敗を生んだという歴史があるから、簡単には変われない。尤もどんな宗教の過激派はどこでも同じだと思うけどな。狂気を兇器と為す。成長するには生傷が必要とはいえ、前哨戦に核兵器を持ち出すような真似をしているに他ならん。

 

 一見関係なさそうな中国と韓国も国内外の動きには注意した方がいいと思うね。中国は言わずもがなだが、韓国は中東において「韓国人を見たらキリスト教徒と思え。」とまで言われている始末。
 日本人は「宗教は?」と聞かれて、無神論者と答える人もいると思うが、「神の存在を否定する者」として捉えられるので、自分の一族の葬送方式を確認することを薦めます。

 

 脳内ぐのぐのしてきたのでこれにて。