昨日の不倶戴天の敵は 今日の刎頚の友

日がな一日世界の傍観者となって独り言をのたくった跡

理解出来なくて幸せなのか不幸なのか

 人の不幸は蜜の味っていう言葉がある。

 自分はその思考経路が理解出来ない。自業自得だとしても、「うぁあ~。来たよ。」とか「やっちまったよ、オイ。」って思うことはあっても、蜜の味とまでは思えない。瞬間的にそうなっても、直ぐに相反する感情が湧いてくる。従って前述。

 ちなみに瞬間的に「漸く様(ザマ)を見たな。」と思ったのは最近ではアメリカの9.11。ただ、映像を見て思ったのが「誰が撮影した?人ならブレ入っていてもいいよな?で、撮影者の声が入っていてもおかしくはないよな?出来すぎてね?自作自演か?」

 と疑問符が次から次へと湧いてきてそんな心持ちは霧散した。但し、そう思う一方で「たかだか3千人程度死んだだけで何言ってんだ?しかも直接死じゃないし、非白系が多数を占めるてんじゃん。」と思っていたことも事実。ついでにここでの数は数値ではなく数字として取っていただきたい。

 

 んーで、まぁタイトルになる。あぁ、誰ですか?ただの天邪鬼じゃねーかよ!とツッコミを入れている方は!(←で、否定はしないのか?)

 

 そんなことを思いつつ、一般的に真理とされているもの以外(例えば数学の答えとか)、世の中に「理解」というものは必要ないんじゃねーか?と考えてみたりする(便宜的には必要だろう)。

 自分が理解出来ない「もの」に対してすることは、認識を基点として、容認、共存、理解という方向と空間内限定共存、隔離、排除という方向がある。後者の方向って、結局理解できないのではなく、理解そのもの自体を拒否しているんだろうかな?と思う。

 そういう思考経路を持つことって、幸なんだろうか?それとも不幸なんだろうか?わっかんねーな・・・・・・。

 

 本日のお茶。

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 お茶は鳳凰単叢の通天香。茶器はちょっと贅沢にドイツの双剣の。

 お茶請けは上は麿さんから。ひなあられ。味は塩味だったので、関西版。

 まだ腫れているのにひなあられを食えとは、なかなかの罰ゲームにて候(いてーよ、真面目に)。

 もう一つは友人から頂いたもの。名古屋は万年堂さんの鶉衣(うづらころも)。原材料は高級品揃い。食間は和製ギモーブ(←素直にマシュマロと言えんのか?)

 万年堂さんは、関東でも有名です。以前元首相(現在陶芸家?)が焼いた茶碗でお茶を頂いたことがあったのだが、その時のあてに出されたものが万年堂さんのだった。

 

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 これはお茶請けその2。モンテールさんの二層仕立てのチーズケーキ。上がレアで下がベイクド。個人的に好きな食感でしたが、1/3食べて残りは麿さんがのまにゅっ♪と食しておりました。えぇ、美味しかったのならいいんです、はい(涙)。

 

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 勿論時間を空けてお茶その3。

 お茶は深蒸し煎茶。

 お茶請けは岐阜県大垣市は烏黒鶏本舗さんの烏黒鶏カステラ。ぶっちゃけ高いです(←オイオイ、なら何故購入した?)

 味は濃い目。お茶に良く合う。個人的にはここのお店のエッグタルトが食べたいと思う。

 烏黒鶏は年間40個ほどしか卵を産まず、希少価値が高い。そして味も滋味に満ちている。自分が食べてもその味の違いが分かるくらい、はっきりとした味である。

 見た目は真っ白なのだが、肉は黒い。だから烏黒鶏。

 近年は産卵数の多い烏黒鶏を品種改良されているが、それが産卵やその栄養価にどう影響するのかは不明?自分としては早死にするんじゃねーか?と思っている。