告別式でお別れをして、オーブンで焼かれてお骨となって出てきて納骨して自宅に安置。までは無事終了した。問題はその後。両親の心労が今以上に増えないことを願う。
実際に焼かれていく様を見ていないので、現実感はない。ただ、触った時は本当に冷たくて身体はあるのに、何で動かないんだろうなぁ・・・・・・ずっと思っていた。自分にとって自分以外の死は最早超常現象にしか過ぎない。
一生涯の間、意識・無意識関係なく、直接・間接関係なく一体どれくらいの死とそれから生の間をくぐり、時には踏みにじり、生きていくんだろうか。と思う。その思考に感情が伴わないのが唯一の救いといったら救いか。
『エンジェル・フライト』でもあったが、喉仏の骨って本当に仏の形をしているんだね。今日現物を見て疑問が解けた。そして焼かれてしまうと物凄く小さくなってしまうんだね。そりゃー、タッパーに入れられて搬送されてしまえるわけだ。
余談だが、海外の一部地域(一神教の地域)だと骨も残らず高温で焼き尽くし、遺灰としてしまう地域もあるそうだ。
本日のお茶。
お茶は15年はダージリン1stフラッシュ、アロバリ茶園のもの。
お茶請けは母から頂いたスイーツバーガーとやら。