完全にアップするの忘れとった・・・・・(滝汗)。
何となくこっちの方でいいんだろうという感覚を頼って行ってみたら正解だった。整備されていて歩きやすい浅間山。標高は約80m。
『太平記』ではこの界隈で新田義興VS足利尊氏の決戦(人見ヶ原の合戦)があり、足利方が石浜城だったかな?まで引いている。尊氏さん、何でも自分の足で全力疾走して逃げたとかいう話が伝わっている。元気な48歳だなぁ(滝汗)。石浜城は今で言う浅草の今戸の辺りだよ。江戸時代にそこらの丘一体が崩されて埋め立てに使われた為、遺構は残っていないけどね。
考えてみると、城はあったと記録だけはあるが遺構はないとか、遺構らしきものはあるけど発掘していないよ。ってのは多いと思う。まぁ、いちいち掘り起こして保存していたら財政が持たないわな。日本てただでさえ文化財保存に金掛けないから。それに日本に点在している城の数って確か7千超えるんだよね。
城址など巡るの好きなくせに、江戸城や小田原城にすらも行った事ないんだよなぁ、自分(笑)。つか、元々人が多い城や城址って好きじゃない。
整備されて歩きやすいとはいうものの、道中に地図が無いんだよね、ここ・・・・・・。注意書きは多いけど。
山という名称はついていれども、民家が隣接しているのでちょっとした森林公園のよう。
下の方を歩いていて先ず出会いしは御手洗(みたらし)様。
鳥居の奥に小さな祠がありました。ちょろちょろと水が流れていたので、湧水なんだろうかな?
こんな感じの道なので歩きやすいが、人見 四郎の墓碑があるところはちょっと入りにくい。
ここからは富士山が望めるとのことだが、生憎の天候でした。
浅間(せんげん)神社。
上っていくとここに辿り着く。
参拝してうろつき回っていたのはいいのだが、現在地確認が出来なかった為その後調布駅まで徒歩で赴く(←・・・・・・)。地理が分かる人には武蔵小金井駅から調布駅まで歩いていったとお考え下さい。
運良く、ここでしか見られない花・ムサシノキスゲの開花も見られました。
それからノバラも。
調布駅に向かう途中で見た、印象に残った植物↓
壁を隔てた向こう側からこんにちは。
名は知らないが、群生していて綺麗だった。
夕刻に撮ったので見辛いが、桐の花。
休暇中のお茶やお茶請け、アップしていないけれども問題はないよな、うん。