昨日の不倶戴天の敵は 今日の刎頚の友

日がな一日世界の傍観者となって独り言をのたくった跡

恋バナってことは、恋愛?面倒なだけだ

今週のお題「恋バナ」だそうな。

 

 なのに、いきなりタイトルがそれかよ。でも自分にとっちゃあ事実。
 二次元でも三次元でも「好感」を持つことはあれど、それが「恋愛」感情に発展することは先ずない。なので、仮想恋愛空間に浸れる人が理解出来ない。


 恋愛というのは緊張感を伴うものである。緊張感を持つことによって持病に悪影響を及ぼすこともある。何故ならば、恋の旧字体は「戀」。上部は乱れる、下部は心。つまり心乱れるというものだ。

 

 居ても立ってもその人の事を想うというのがイコールならば、あるにはあったな。二人居る。もう今は音信不通であるが(うち一人はとうの昔にはかなくなっておりますれば)、結果的に人生に多大な影響を与えてくれた点では非常に感謝している。一人は12歳の時、もう一人は15歳の時に出会った人物。
 出会った以上、生き別れるか死に別れるかしか選べないわけだが、後者は結構堪えるよ。時間薬を服用していてもそう簡単に癒えるもんじゃあない。特に自分は物凄く引きずる傾向にある性分なので、一体後何十年掛かるんだろうな?

 

 して、「恋=こひ=請う・乞う」と、本来の意味で捉えるなら間違いなく自分は浮気性♪それについては否定する気なし。

 

 恋愛が面倒というのは前述の事象が起因しているわけじゃあないよ?
 熱愛は芸術を、友愛は社会を育むという。芸術を好む割りには心がぐわぁっと昂揚していくが苦手だ。その後にやってくる何かしらの喪失感から心情をトリートメントしたりメンテナンスしたりするのが面倒と感じている。蔑ろにできるものでもないしね。
 従ってタイトルのような事を思ってしまう。しかし、こーんなヤカラにも所謂モテ期というのがありました。使いどころはちょっとアレだが、鬼も十八番茶も出花ってとこだろうか。
 
 人生が変わるとまでは言わぬが、その後ちょこちょことときめきを伴うような感情を持ったことはある。それを恋愛というのかどうかは分からぬが。
 そして余談だが、魂レベルで人を好きになってしまうと、だ。正直それが盛られている器の形状などどうでもよくなる。

 

 さて、本日のお茶。

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 お茶はディンブラ。
 良質なディンブラはお湯を注いだ時に薔薇のような香りが立ち上ると言われている。これは正にそうだった。恐るべきTB(ティーバッグ)だな。
 お茶請けは見ての通り、バウムクーヘン