昨日の不倶戴天の敵は 今日の刎頚の友

日がな一日世界の傍観者となって独り言をのたくった跡

残り2ヶ月

 カレンダーの残りも少なくなり、今年も残すところあと2ヶ月となりました。

 

 年を重ねると年々月日が短くなるというが、あまり変わっていないと感じる自分は時間の感覚に乏しいんだろかねぇ?

 何年か前に無響空間なるものを経験して、自分の体内時計と視覚化されている時間とがあまり差が無い(体内時計の方が2秒ばかり早かった)ことが証明されたが、今はどうなんだろうか。

 

 大人になると時が経つのが早くなる。それは覚えることが少なく、時間そのものの密度が低くなっているからだ。と言われているが、ただ単に忙しすぎるだけじゃなかろうか?とも思う。

 忙しくないのに時が経つのが早いと感じるのは、無駄に過ごしている時間が長い所為だと思う。もしくは密度が薄い。密度が薄いってことはそれだけ印象に残らないってこと。すると脳は覚えている必要はないと削除していく。

 同じ長さの1本の紐が、真っ直ぐなのと折畳まれているのの違いみたいなもんだね。時は誰にでも平等に流れるものだしさ。

 

 ・・・・微熱出している状態でものを書くものじゃないな。支離滅裂になってきている(滝汗)。ついでに眠い 。

 

 じゃー、本日のお茶。

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 お茶は16年はダージリンオ-タムナル、ゴパルダラ茶園のもの。

 お茶請けは母から頂いたドーナッツと、ベレ氏から「とりーと・おあ・とりーと」と言ってせしめた(←・・・・オイ)、ミルフィーユ♪

 

 御二方ともご馳走様でした<(_ _)>