今週のお題「あの人へラブレター」。
ラブレター。日本語で言うと紅の筆とか艶文。で、それをやり取りする遣いの人を花鳥の使いと申しますわな(←平安時代かよ!?)
お題の趣旨に添っているか疑問なのだが、思いを言葉にして文として成形してというのも可であらば、適っているとみていいのだろうな。
自分が思慕している人に対して、詩という形状で心情(真情)を吐露したもの。
『Memento Mori』は平成17年(2005年)に、『悲願花』は平成27年(2015年)に書いたもの。文章の稚拙さに関しては目をつぶっていただければ幸いです、ハイ。
Memento Mori
手繰り寄せられない糸を手にしてから、一体どれほどの時が経ったのか
・・・・・・あまり考えたくない
もう、とうの昔に貴女の年齢を越えてしまった
自分を振り返ってみて
当時まだ幼かった自分は 貴女に対する感情すらも理解できてはいなかった
今でも理解しないようにしている自分がいる
自分も時の運りの円に落ちた身
だから貴女の元に行く事は叶わぬ事じゃあない
今でも考える
貴女の中に何を見ていたんだろう?
貴女の中に何を望んでいたんだろう?
貴女が命の果てに残したものは何だったんだろう?
――と
若しかしたら
自分はそれを知っているのかもしれない
ただ、気が付こうとしないだけで 貴女が生きていると思いたい故に
解かっては、いるんだ・・・・・・
だけれど
失ったんだよ?いないんだよ?何も返ってこないんだよ?苦しんだ・・・・・よ?
唯一人、貴女がいないというだけで
時の巡りに何の影響力を持たない真実なのに
伸ばした手の先には何も存在していないのに、貴女がそこにいると思いたい
貴女に、会いたい
そして自分の記憶の忘却の彼方
崖っぷちに置いてきた貴女のその声で
もう一度 僕の名前を呼んで欲しい
気が付きたくなんかなかったよ
貴女が好きだ何て事
人の悲しみ方は様々と言うが、オマエはどれだけしつこいんだよっ!?とセルフツッコミをせざるを得ません。
本日のお茶。
お茶は濃い目の天竜茶(ラスト)の水出し。
お茶請けは母がお土産として頂いてきた、瀬戸内ケーキ、八朔味。
ケーキが意外に脂っこかったので、濃い目のお茶がよくあった。ホール啖(ぐ)いはしとらんぞ。
八朔って瀬戸内海周辺だとよく食べるのだろうか?関東では売ってなくは無いが、食べることはほぼ無い。