昨日の不倶戴天の敵は 今日の刎頚の友

日がな一日世界の傍観者となって独り言をのたくった跡

抜けるような青空の日って

 自殺日和だなぁ。と思ってしまう。
 
 本当に切羽詰まっていたらどうでもいいのだろうが、死にたいと一途に望んで(臨んで?)いたり、切に願っていたり、常に思っていたりしている場合、天候に左右されるってことはあると考えられる。
 
 思い詰めていても、ただ話を聞いてくれるだけでも思い留まってくれることもある。所謂同調効果というヤツ?
 一線を越えてどんぐらになっている人にとっては、抜けるような青空ってそれとは逆の効果があると思うんだよね。

 ただそういった空は、殆どの人にとって良くも悪くも「背中を押してくれる」存在ではある(日本の場合はな)。

 

 して、本日なーんでこんなコトを書いているかというと、人身事故の側杖を喰ったから。

 

 必要以上の大勢の人に迷惑かけて死ぬなや。と思うものの、自死するまでの思考を抱えると、それしか見えなくなる上に場合によったら早く、兎角早くという加速思考(思い込み)が加わることもあるので「シカタガナイヨネ」とも思う。

 ちなみにこの流れにおいて敢えて「理由」は問わない。

 

 それから「自殺者が多い=不幸」だとは思わない。
 よくどこぞの隣国が自殺者数の違いを引き合いにしてこきおろしてくれるが、そもそもの死生観・宗教観が異なる以上比較にすらならない。意味合いが違ってくるからな。

 WHOが毎年発表している自殺者の統計の内訳を、それを踏まえて見ると、数字はともかくこの数値は一体何を意味しているんだろう。と考えさせられる(興味深くもあるともいえる)。

 

 それにしても、いつになったらちゃんとお茶が出来るのだろうか…。