昨日の不倶戴天の敵は 今日の刎頚の友

日がな一日世界の傍観者となって独り言をのたくった跡

歴史修正歓迎

 何気なく、ぺりっと新聞をめくったら織田信長について書かれていた。そーいや本能寺の変って今日だったなぁなどと思って読んでいた。ちなみに同月の13日に明智光ちゃん絶命してんだよな。

 

 近年歴史を修正するというか、見直しする動きがある。

 それは、歴史上悪とされてきた存在やその反対の存在もさることながら、影響力のあった歴史上の人物を当事者、対峙者、第三者から見た事実、作られた物語によって歪められた実像を検証するという動きだ。

 

 例えば聖徳太子。モデルとなった人はいるが、〝聖徳太子〟という固有名詞を持った人物は存在していない。とか、ヘロデ王の嬰児虐殺は虚構だった。とかね。

 日本では特にそういった動きは見えないが、この歴修正とやらに宗教が絡むと閉口したくなるような勢力が湧き上がってくる。

 聖典に掛かれていることは絶対。という勢力に問いたいが、何で?と。そして何を以ってそれが正しいというのか。善か悪、黒か白かしかない世界の方が生き易いとでも?宗教が法でも絶対正義でもない国で育つと、こんなもんだ。

 

 そして歴史修正というと、なーんでかイケナイコトと捉えられる傾向があるんだよね~。都合よく改竄しているわけではないのだから、いいと思うのだけれどなぁ…。

 

 して、本日はお茶せず。