昨日の不倶戴天の敵は 今日の刎頚の友

日がな一日世界の傍観者となって独り言をのたくった跡

ポンペイ展に往ってきた

 掘れば何か出てくると言われているイタリア。尤もそれ言っちゃうと地球全体がそうなのだが…。

 

 ナポリの東、噴火で山の形が変わってしまったヴェスヴィオ山というのがある。その南にあるのがかの有名なポンペイ。西暦79年の恐らく10月24日の噴火で街ごとタイムカプセル化された街とも言えましょう。

 一瞬(?)にして真空パックされたもんだから、建造物や出土品の保存状態が良く、かつ手に取るとまで言わぬが当時の生活様式を良く知ることが出来る場所。

 

 展示はポンペイを中心としているが、土壌の関係やらなんやらで今までポンペイ程発掘が進んでいなかった、ヴェスヴィオ山の西にあるエルコラーノ、同じく北にあるソンマ・ヴェスヴィアーナからの出土品も出ている。

 ちなみにこの二ヶ所も噴火によって埋没した街である。そしてまだまだ分からないことが多いそうだ。

 

 東京を皮切りに各地に巡回する展示だが、東京展でのみ展示される展示物が意外に多い…。だが、下記は再現されると思う。

 展示会場内には代表的な3つの邸宅の一部を再現していて、曲がりなりとも当時の雰囲気を掴むことが出来た。

 それぞれの邸宅には名前がついているのだが、これは所有者の名ではなく出土した時に特徴的だったものがその邸宅の名につけられている。

 して、再現性は高いと思う。

 瞬間的に埋没した所為も大きいと思うが、建築物の他に当時の生活を読み解くヒントとして、保存状態の良いフレスコ画やモザイク画も良好な保存状態で出土したというのも大きい。

 

 中には壁広告(解読済み)もあって、広告主(女性)が「誠実な方に部屋と浴場を5年契約で貸しますよ。5年過ぎたら自動契約更新です。」ってなのをも出土している。

 惜しむらくはこれ写真撮ってこなかったんだよね。正確には人の波がうまく途切れなかったから諦めたんだがね。あ、フラッシュたかなければ写真撮影はOKです。

 最近写真撮影可の展示やら増えてきましたが、今まで以上に周囲に気を使いながら鑑賞しなければならないので、結構疲れます。ただ、ポストカードでは使われることにない横や後姿の画を入手出来るのはいいなと思う。

 

 当時はギリシア文化や芸術に精通しているとか、造詣が深いというのが尊敬の対象や上流の嗜みとされたようで、そういった教養がないと読み解けないようなフレスコ画やモザイク画が、言い方は悪いがやたらとひけらかしているようにして邸宅に飾られているのには辟易した。

 上流階級なら特有の〝付き合い〟なるものがるのだから仕方のないことなのかもしれないが、解放奴隷(元奴隷)やアーティスト気質と思しき場までそういった感じだったので、これって民族的な問題なんだろうか?と思った。

 

 今も昔も変わらないな。と思ったのが、猛犬注意の注意書き。といってもこちらはモザイク画だが。

 その猛犬とやらが実際に犬なのかまでは分からんけどねー。

 

 所々でエジプト文化の香りがあった。このままローマ帝国キリスト教を国教としなかったら一体どんな文化圏が生まれていたんだろうか?と興味深くはある。ただ、宗教って勢力持つと、他の文化をぶっ潰して当然とか抜かしやがるし実際やるから(勿論今もな)、早々に東ローマ帝国滅んだかもしれないねぇ。

 欧州が多様性に理解があるとか同調圧力がないというのは、当たり前だがただの幻想ダネ♪実態の形状が違うってだけということが今回のウクライナ‐ロシアのことで証明されたしね(事象が大き過ぎて裏は取れていないけどね)。

 

 話を元に戻して、現在修復中(修復映像あり)の巨大モザイク画《アレクサンドロス大王》のモザイク画が高精密映像で再現されたのだが、これは必見。

 欠けが多いのだが、未だかつて345cm×585cmのモザイク画なんぞ見たことはない。

 ポンペイで最も大きな邸宅の談話室の床のモザイク画なのだが、そんな大きなモザイク画を作るのにどれくらいの時間と費用を費やしたのか、考えるだけでも頭が痛い(←そっちかよ)

 

 個人的に展示でうーんと思ったのが硬貨の展示。2ペンス銅貨もとい1円玉よりも小さいくて見辛かった。もう少し鑑賞側に寄せてくれるか、拡大鏡を通してみるなり出来たら良かった。

 ただ、恐らくそうしたらそこだけ流れが悪くなるのだろうと思うのでやらなかったの可能性は否めないが。

 

 あとは炭化した食品が展示された。いたのはいいのだが、レプリカを炭化したものの隣に展示もしくは炭化前の画像があればより分かり易かったと思う。

 展示されていたのはパン、干し葡萄、無花果、キビなのだが、見ていた子供(小学校低学年くらい)が母親に「キビって何?」と聞いていて、母親が「食べ物だと思う。」と言っていたのを聞いて、ちょっとツッコミを入れたくなった。実際やらんかったけど。

 キビは桃太郎が持っているお団子の材料だが、ポンペイではどうやって食べていたんだろうか?

 そして炭化したパンは現在を同じでふっくらとしたパンだったが、生地の密度はどうなっているのか、発酵には何を使っていたのか、色々と疑問は尽きなかった。

 

 へぇっと思ったのが、当時は富裕層の邸宅にしか台所はなく、台所が持てない人達は外食か簡単に作れるもので食事を済ませていたとのことだが、簡単に作れるものってサンドウィッチとか?と思ってしまった。あと、多分中食もあったと思う。

 当時のポンペイの人口は大凡1万人くらいでその中にパン屋が30件ほどあったそうなのだ。約330人に対してパン屋1軒(これが多いか少ないか分からない)。

 飲食店がどれくらい軒を連ねていたのか分からないが、どんなお店やメニューがあったんだろう?と思う。今回のように再現された当時に恐らく忠実であればあるほど現代と比較してどうだったんだろうか?と思わずにはいられない。

 

 あと、古代ってこういったの好きだよね↓

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とか

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といったもの。

 

 この上の2枚の画像はテーブルの脚です。

 

 展示会場を抜けたら、外はいい感じでした。

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 午後から雨とのことだったので、花散らす雨になるなぁと思いつつ、下に降りた。

 

 今回の特別協賛に住友金属鉱山さんがいるのだが、別子(べっし)銅山産含銅硫化鉄鉱を貸し出してくれていた。あと、銅山は現在閉山している。

 古代から人の生活を支えてくれた金属の一つにして、一時日本が銅の産出国世界一位(うち25%が別子銅山産)だったことも踏まえての展示か分らんが、実際に精錬された銅、つまり自分が知っている銅と比べると、これはまた違った風合いで美しい。

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 写真では再現出来ていないが、もっと表面がキラキラとしていて綺麗だった。

 余談だが、別子という字を見て別子飴を思い出しました。

 

 平成館から平常展に移動。

 本館は皮膚感覚がざわざわするので、体調によっては中てられる/充てられる。今日は両方キタ(-_-;)

 本館なら中庭に出られるテラスがあるのだが、テラスから本館(一部)の眺め↓

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 本館を出てくるりと庭園側に回って解放されて庭園に入ったら、御帝吉野(ミカドヨシノ)の桜吹雪を食らった。

 桜のネームプレートを見て後醍醐天皇?と思ったのは自分だけだろうか?実際は静岡県生まれですが。

 

 暖かかった所為もあり、桜の香りで花酔いした。

 気分が悪くなったので人の少ない所へと移動。

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 こんなところを通ってました。

 

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 人が歩かないところ(この道は立ち入り禁止区間)は散った花弁すら綺麗だねぇ。

 

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 これ、何の木か分らんがひこばえってレベルじゃないな( ̄▽ ̄;)

 

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 ここで沢山の桜花を風と共に浴びました。ゆっくりとしていたかったのだが、雨降る前に洗濯物取り込まにゃと、現実に立ち返りここを後にしました。

 

 おまけ。

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 様子だけ見てとんぼ返りしました。

 不忍池です。

 晴れてりゃもっと綺麗だろう。

 

 本日のお茶。

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 手抜き♪

 お茶請けは東京都目黒区はパティスリー1904 ディズヌフソンキャトルさんのガレットオランジェ。ホワイト、ミルク、スウィート。3つで500㎉超のシロモノ。美味しいけれど、食べるのが下手だとばらまくだろうな。自分のように…。

 

 このお茶とは合うが、糖分の摂取し過ぎが懸念される。やはり無精するべきではなかったか…。