場所は勿論上野。今日は平日だろ!だと?んなもんサボったに決まってんじゃん。申告した上で♪
いつもはタイトルにどこへ行ったと書くのだが、本日は多めなので省いてみた。
本日のメニューは以下。
⇒東京国立博物館の常設展示
⇒ワイン展(国立科学博物館)
移動は少ないが、内容は濃い目である。カメラを持っていかなかったのが悔やまれる(携行式無線機器類は持たない)。常設展で自分が好きな十二神将像が期間限定展示されていたからだ。今まで見た事のないタイプで、巳が剣を持っていた。彼一柱だけだったので、ポジションは当然センターの最も高いところ。二柱ほど弓を持っていたのも居りましたね。それも新鮮でした。鎌倉時代のもので、技巧レベルが十二柱全て同等。補いはなしらしい。
あと、藤原行成の漢詩の写しやら、童子切り安綱他国宝及び重文ランクの太刀や刀剣、当世具足や胴丸なども見てきた。視覚資料を集める上ではお役立ちしますね。自分の場合はそこまでの実力が全く伴っていないという大問題がありますが。それは過去に上げてきたイラスト通り・・・・・・。
始皇帝と大兵馬俑展は、親父や麿さんが行きたいと言っていた。麿さんは諸事情により行けないので仕方がないが、親父は何で行かないんだか?1日中暇しているくせに。
して、開館とほぼ同時に着いたようなもので、殆ど並ぶことなく入れた。そしてロッカーに荷物を預けて、第2会場へGo!当然のことながら、面白いくらいに人が居らんかった。
中国大陸で始めて天下統一を成し遂げたから始、王よりも位が上だから皇帝。で始皇帝。個人的には世界初の1/1スケールのフィギュアコレクター(ドールハウスクリエーターとも)という意味での始皇帝とも思っていますがね(←オマエの認識って・・・・)。
ちなみに現在でも脈々と続いている中央集権という政治構造を世界で初めて構築及び施行したのも始皇帝。単位や貨幣を統一したのはその事業の一環。実際には秦で使ってたものを標準規格としてそれを全土に広げただけではあるのだが、形はどうあれ標準を制定したことには変わりない。
秦は結局3年ほどで滅びてしまうが、後世累代に及ぶその影響は計り知れない。第2代皇帝の時に「馬鹿」という言葉が生まれ、現在も当たり前のように使われていることからしてもな。
前半は西の小国から天下統一までの道のりを、主に文化の面から辿っていくという形式を取っている。
中国は殷、周、春秋、戦国、秦、前漢、新(?)・・・・と王朝は続いている筈。何で筈かというと、中学の時に歴史と国語の授業で覚えさせられた時の記憶で書いているから(←そんくらい調べろや)。して、日本だと大体弥生時代の始め頃ですかね?ついでに戦国時代と南北朝時代は日本にもあるので年号か国名がないと混乱します。
それは兎も角、秦は周を継ぐという形で文化の継承やら他国との競合とやらを展開している。
春秋~戦国時代に渡り、西国の最前線というか激戦地区となっていた場所に商洛という場所があるのだが、そこでは秦と度々闘っていた楚と魏、巴蜀の遺物も発掘されるそうだ。滅ぼした国でもその国の優れたものはどんどん吸収してゆき秦としての文化を洗練させていった。また、北荻(ほくてき)、西戎(せいじゅう)といった異文化の者達とも国境が接していた為、そっちの文化も流入していった。
文化が洗練され落ち着いた⇒どういったものがあったのか?という流れになり、統一後の事業や帝都の様子、また当時のインフラの残渣が展示されていました。下水管のシステムや墓誌なども発見され、それも秦の実態を知る大きな手がかりになっているそうだ。
『史記』を読んだことある人もいるかと思うが、『史記』には記載されていない史実も多く、検証が大変らしい。
『太平記』を読んでいると『史記』から引用された逸話が所々に挿入されている。曲がりなりにも読破はしていたので、あぁそんな話もあったけかな?と思い返す。分かっているのだが、戦記ものってやたらと登場人物多くて覚えるのが大変なんだよね・・・・・・。『三国志』(演義含む)も『封神演義』も『水滸伝』も以下略大変だった。
話を元に戻して、後半になると兵馬俑の展示に移る。1974年だったかに農夫が偶然見つけたという代物。未だ発掘が終わらず、未だ全貌が見えない。古代のロマンラバーなお人達の憧れの対象でもある。現在の中国の在り方は兎も角としても。
てか、早くに歴史が成熟していた国って、現在どうしてこんなになった!?という国が多いような気がする。世界三大偉人(キリスト、仏陀、孔子)を輩出した国も今じゃあなぁ・・・・・・。欧州が暗黒時代に突入していた時代に素晴らしい文化や文明を花開かせていたペルシャやアラブも、ねぇ・・・・・・。きりがないのでやめる。
後半の展示は360°見ることが出来、且つ展示物のスペースが広いので人が多くなければじっくりと堪能することが出来る。
始皇帝の愛したと考えられている馬車のモデルが2台来ているのだが、これはいずれも複製品。その技術は中国だから想像に難くないかと。この腕前なら、本物そっくりの偽卵も作れてしまうわな(←マテ)。
見ていながら疑問が色々と湧いた。
兵馬俑の一人一人顔が違うのには驚いたが、謎だったのが髪型。冠なり頭巾の中に髪を上げて入れていたようなのだが、編み込みにして入れているようなんだよね。一体どうやって止めたんだろうというのと、当時の男性の髪の長さってどれくらいだったんだろう?と思った。
現在とは違った様々な人種がいたと思われるが、彼等はどこから来たのか?そして中国統一というが、「どこ」から「どこ」までが中国なのか?また現在中華人民共和国の言う「歴史的に中国に帰属している土地」というのは具体的にどこを指すのだろうか?帝都には渭水(いすい)が通っている。近くに涇水(けいすい)という川がある。で、『涇は渭を以って濁る』という言葉があるが、その水源は?とか。何でかってーと、涇水はいつも濁っていて渭水はいつも澄んでいるから(実際見た事はないが)。
瓦(当時は贅沢品)の発祥の地は陝西(せんせい)省とのことだが、何がきっかけだったんだろうな。とか。
疑問を大量に抱え込み。ショップでお買い物をしました。麿さんへのお土産に兵馬俑のチョコレートを買ってみました。・・・・・・つっこまれそうだなぁ(汗)。
そして平成間離脱。外へ。で、外で食べるところもあるにはあるのだが、おいらはお弁当持参。平成間近くの自販機で、ひなたぼっこしつつ梅の香に巻かれながらまにゅまにゅご飯を食べとりました。その後常設展示へ。何を見たかは一番始めに書いてあるので割愛。
国立科学博物館で開催されているワイン展へと移動。
ワイン展はどちらかというと体験型の企画。体験型といっても実際に体験するのではなく疑似体験ですが。季節合わんしね。
例えば選果といって、病気や悪い部分を手で取り除いていく作業をモニターで体験したり、葡萄踏みを体験したり(気持ち悪かった)、醗酵中の液をかき混ぜる作業を経験したり(物凄く重かった)しました。
酒飲まないのに何でこの展示に行くんだ?と幾人かにつっこまれましたが、歴史や宗教には欠かせないんだよ、ワインって。それに今回は化学的な観点からも分析するってんで行きたかったのさ。一応こんなんでも化学屋だからね。それに醗酵分野って面白いんだ。有機的な工程を経る化学変化は結果が両極になることが多い。正に天国と地獄♪
して、ワインがどのような工程を経てワインになるのかを見た後、次はワインの歴史なるものへと展開。現存する日本最古の国産ワインも展示されていてびっくりした。
日本におけるワイン作りは明治になってから本格化したが、気候風土が全く合わないがために頓挫して長らく途絶えていたそうだ。現在は国際的な賞を取るほどのレベルまでいっているが。
展示でも少ーし触れていたが、戦国時代でもワインを贈答品として使っていたことは分かっているそうだ。所謂唐渡り(西から来たもんは全てその名称として括られている)だから珍重されたんだろうね。
これは展示にはなかったが、記録に見られる限り戦国時代にはワイン作りをしていた家もあった。何を隠そう細川家だよ。代々保存してきた細川家の資料にその作り方が掲載されている。当時は贈答としてというよりは気付け薬に使われていたとのこと。日本に限らずワインを薬としていた地域は多く、酒類を禁止していたイスラム教圏でもワインは消毒薬として使われたりもしていたそうだ。
ビールとも比較されていて、ワインは発見だがビールは発明と区別されている。ついでにビール発祥の地はメソポタミアです。紀元前2千年か1千年か忘れたが、当時にして既に10種類ほどのビールが作られていたことが確認されている。
ワイン発祥というと言い方に語弊があるが、その地とされているのはグルジア。現在のジョージアですな。旧約聖書とやらと色々絡めて語れてしまうのでここには書かんが、痕跡が色々と見られるのだそうだ。
へぇっと思ったのが、太平洋戦争中にワインから酒石酸を抽出してロッシェル塩を製造していたということを初めて知った。しかし何だなぁ、その葡萄はどこで作られていたんだろうか?
葡萄ジュースでも見ることはあるが、酒石酸はキラキラとしていて綺麗です。
製造工程、歴史と来て、最後はワインの楽しみ方。色や香り、ワイングラスやデキャンタによる味の違い、エチケット(ワインラベル)の読み方、エチケットに盛り込まれた美術などが紹介されていました。
ここでも体験型の企画があり、実際に匂いをかいで、最後に置かれたものの匂いは何と何をブレンドしたかを当てるというもの。当たったけど、何で皆さんそこまで鼻を近づけるかな?と思った。強いのだと身を屈めなくても、弱いものでも30cmも近づけば分かるものばかりだったのに。
あと、ニオイスミレろいう花が展示されており、3割の人がその花の香りを感知することが出来ないと書かれていた。自分取り敢えずは7割の方に入っていたようです。甘いいい香りでしたよ。砂糖漬けにしてザッハトルテに飾りたい。
他には2010年にバルト海の沈没船から引き上げられた世界最古級のシャンパーニュも日本初公開となっていて。これまたびっくり。持って来たんかい!!と。
全て個人のコレクションだったが、古いボトル(勿論エチケットつき)も展示されていました。中には日本でいうなら明治時代か江戸時代に当たるような年季の入ったものも・・・・・・。
アートラベルも見ていて楽しかったのだが、オーストリアはリーデル社の様々な形状のワイングラスが展示されていて、ワイングラスが欲しいと思った。お茶を飲むために。
陶器で飲むか磁器で飲むか、厚手のもので飲むか薄手のもので飲むか、カップの形状でお茶の味や香りの感じ方は異なるということは経験済みである。夏に水出しのお茶をワイングラスで飲むこともある。
自分が好ましいと思っているお茶の傾向は大体分かっているのでそれに合わせたグラスが欲しいと思った。前述のワイングラスは赤白兼用で、お茶を飲むために頂いたもの。それでもいいのだが、ちゃんとしたものが欲しい・・・・・・。
この後向かうはショップ。
物色はしてみたものの、特に買うこともなく後にしました。グラスも売っていましたが、いいなと思うのが売り切れていた。
出口に向かったところ日本の科学者展シリーズの広告が目に入り、渋川春海(はるみ)という名を見た瞬間、幕府方の天文方か。ということは、陰陽道に暦に高橋至時(はるとき)に伊能忠敬が絡んでくるな。と思ったら案の定でした。そして徳川吉宗も天文観測をしていたことや、江戸時代の天文台の場所や規模なども分かって驚きの連続だった。
案の定といえば土御門家(泰福)も絡んできたぜい。
前のブログで安倍川餅ネタを展開した時も吉宗&土御門(この時は泰邦)が出てきたが、また変なところでつるんでるのだなと思ったよ。
18世紀も終わりになると江戸の人も天体観測を楽しんだとのこと。当時の物が展示されていたが、大きさというか長さは現在のものとさほど変わりない。が、17世紀始めの頃に作られた物も展示されていた。残っていたのかと思うのと同時に、その大きさに目を剥いた。大砲ですか?ゆうに3m以上はあるよな、コレ。という代物でした。気になる(?)倍率は10倍程度だったそうな。
色々と奮闘して引継ぎを重ねていい結果を出したものの、明治6年に太陽暦に切り替わり彼等の研究や観測は直接的には引き継がれなかった。しかしながら与えた影響は計り知れない。
外に出ていい感じに月が輝きだしていたが、金曜日は20時までというところが多いので、東京都美術館へと向かう。
開催されているのは有名なのにも関わらず、今まで日本で本格的な回顧展を開催されたことのないポッティチェリの展示。
イタリア政府が全面的にサポートしているので、期待度も高め。そして以前ボッティチェリの作品を見た時に感じたのだが、どんなに印刷技術が発達しても、彼の絵は実物を見た方が断然良い。ということを経験として知っていたから(←だからといって今日行くこたぁなかろうて)。
ボッティチェリと縁深いフィリッポ・リッピ及びその子供のフィリッピーノ・リッピの作品も合わせて鑑賞することも出来る。
フィリッピーノ・リッピは出自も凄かった。不真面目な聖職関係者の父親ことフィリッポが、美しいルクレチアという修道女を連れ出し事件を起こし、二人の間に生まれたのが彼・・・・・・。
全作品に解説パネルがついているので、全く知識がなくても何となく時代背景は掴めますが、出来れば2周して1回目は解説パネルを全く見ずに巡り、2回目から解説を読みながら物語を追っていくと良いかと。正直疲れますが。
油彩画もいいのですが、ボッティチェリの素描はハイライトの利かせ方がしっかりとしているので今にも動き出しそうという表現が合います。で、フィリッピーノの素描は紙からふわっと浮かび上がるような描き方で、それだけで非常に幻想的な印象を受けます。
今回初来日の《書物の聖母》は母子共々異なったハロの細かさに思わずため息。クッションやベールの模様の絢爛さ、顔料もラピス・ラズリを使っているとのことから、かなり実入りの良い注文主だったと想像がつく。
時間も差し迫ってきていたことなので、ショップに寄って撤退しました。東京都美術館は関連グッズの品揃えのレベルが高いのだが、値段も高い。
あとは山手線で熟睡さ。乗り過ごしはしなかったよ。