昨日の不倶戴天の敵は 今日の刎頚の友

日がな一日世界の傍観者となって独り言をのたくった跡

祝福者の仲間を虐殺するのがお礼?

 本日公現祭です。横文字にするとエピファニー。所謂キリストの元に東方から3人の博士(賢人)が訪ねてきて贈り物をした。とされる日。

 

 んーで、これを題材にした絵画って多いのだが、彼等3人のことは”Magi”と書かれるんだよね。

 Magiって、古代の多神教の意味合いで取れば司祭とも訳せるんだが、魔術師や魔女の語源でもあるんだよね。てことは、生誕を祝福した者達の仲間やその子孫を虐殺することがキリスト敎式お礼参りの仕方なのか?

 魔女狩りが無ければそうは考えなかったかもしれないが、なんかそんなことを思ってしまった。

 

 日本人って宗教と聞くと「胡散臭い」と感じる人が多いと思うが、宗教のごった煮が当たり前の世界観なだけで、無関係ってわけでもないんだよな。恐らく「宗教=特定の信仰」という先行イメージがあるせいなんだろうけれど。

 妖怪だって掘り下げたら元々は神様だったり、付喪神や元人間が神様になったり、つくづく自由だなぁ(無節操とも云ふ)と思うが、宗教が原因で無駄な争いが起こるくらいなら、いっその事これくらい緩くってもいいんじゃね?とも思う。

 

 さて、明日は七草だな(これも宗教行事ではある)。