三井記念館へGo!
自転車でも行けなくない距離だが、なにぶん人が多いのと駐輪場所の問題で電車で行った。
今回主に展示品を貸し出して下さいました場所は、奈良県吉野は金峯山寺(きんぷせんじ)と鳥取県三朝(みささ)は三徳山(みとくさん)の山佛寺(さんぶつじ)。
前者は葛や桶寿司、後者はトチ餅と豆腐(個人的には納豆)が有名だね(←所詮はその程度の認識かよ、キサマは)。
で、双方の展示品の殆どが平安時代のもの。一番古いのは白鳳時代ので、最も新しいのは江戸時代のもの。
金峯山寺は開創も7世紀後半と早いが、奈良時代から平安時代にかけて既に霊威の名声が確立していたようで、唐の書物にも詳しく書かれているとのこと。
そんな場所だから、時の権力者などとも関わりが深い。現に藤原道長が参詣、源義経が隠遁、後鳥羽上皇がしきりに誼(よしみ)を通じ、護良親王が立て籠もり、後醍醐天皇が潜幸し、豊臣秀吉が花見をし、芭蕉や本居宣長が一度ならず訪れた。
ちなみに護良親王が立て籠もった時とその後の高師直の侵攻、徳川政権と明治政府の強権によって壊滅的被害を受けた。
で、そんな難を逃れたものものと対面したのですが、おしむらくは見たかったものが見られなかった。展示が9/23までだったのを忘れていた(乾笑)。あ、見たかったものは後醍醐天皇の持念仏です。
展示品の中には銅造の懸仏なんかもあったのだが、立体ではなく彫ってあるので物凄く見づらかったものがあるので、それは別に紙に写し取って参考展示して欲しかった・・・・・・。
興味深かったのは笈(おい)ですね。
笈は山伏が山に入る時に背負う箱。言うならば木製脚付リュックサック。結構大きい。そして文様が豪華。・・・・・・えぇっと、修行の身、だよなぁ?
山佛寺と言ったら、最も有名なのが国宝の投入(なげいれ)堂であろう。 三徳山の中腹、標高500m辺りに建つお堂。現在の姿となったのが平安時代後期。つまり千年もの間風雪に耐えている。
100年程前に一部修復作業をしたらしく、その時の古材というのが展示されていた。で、その古材から年代特定をしたようだ。
展示品がそう多いわけではないので、ただ見るだけならそんなに時間は掛からないが、時代や同年代だが地域によって蔵王権現の特徴がはっきりと出ているので、比較しながら見たりするとそれなりに時間が掛かりますね。
昨日人気(じんき)に中てられた所為もあってか、程好くしょうか(←バランスを取るって意味。字が出てこない!)されたようで、左手にピリピリ感は来ていたがそう辛くなかった。
金峯山寺は『太平記』でも舞台になっている場所なので、行ってみたい。護良親王が北条方に攻められて、自刃を覚悟した時に最後の酒宴を開いた場所というのもちゃんと残っているし(四本桜という場所)、南朝の四天皇及び忠臣達を祀る為に南朝の皇居の跡に立てられた南朝妙法殿を訪れてみたい。
三佛寺は近くにある三朝温泉に入ってみたい。ラジウム含有量が世界一らしいのだ。身体の芯から温まれそうですな♪含有量が多いのは、ウラン鉱が近くにあるからなんだろうか?
本日のお茶。
お茶は静岡の上煎茶。