昨日の不倶戴天の敵は 今日の刎頚の友

日がな一日世界の傍観者となって独り言をのたくった跡

レッツ放浪♪ in Tokyo 前編

 事の発端は「夏だし暑いしどっか涼しいところに行こう。」でした。山の日だからという訳ではない。
 んーで、選択した先というのが↓ココである。

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 ちびっ子の時に行った記憶があるので、久々に行ってみたいという気持ちもあり、承諾した。のだが、昔に 比べて混雑が激しいとのことで待ち合わせ時間が朝の6時。


 絶対起きられない自身があるので、キラズが取った手段⇒徹夜。多少仮眠を取ってはいるものの、早朝から の移動が必要な時は全てこの方法でやっている。身体には悪いのだが、起きられないという確信がある以上どうのしようもない。早く寝ればいいだろ。という意見も、キラズにとっては無意味なのさ。

 

 して、夏場の開場時間は8時。到着したが8時5分くらい。鍾乳洞の駐車場はもう満車・・・・。元々そんなに 止められるスペースはないが、うぬぬぬぬっ。と思った。近くに有料渓流釣りの駐車場があるのでそちらに停 車するよう言われる。そっち方面は雲取山天祖山方面でもある。
 渓流釣り方面の駐車場からは大体7分ほどで入り口に行ける。

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 バスで行くことも可能だが、奥多摩駅から35分掛かる。ただこれ注意したいのが、このバスの時間は平日 のみ。それ以外及び8月は、一つ手前の東日原(ひがしにっぱら)までしか行かない。つまりそこから鍾乳洞 までは徒歩ということになる。25分とあるが、果たしてそんな時間で行けるか疑問である。一車線で歩道が ないから。というわけで、行くならくれぐれも安全の確保を忘れずに。

 

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 橋の真ん中から滝を臨む。

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 同じ場所でつと上方に目を向ける。

 

 かなり昔は一石山御岩屋や一石山大権現と呼ばれ、鎌倉時代から修験道の聖地になったりしていたようだが 、その発見は今から1200年ほど前だそうだ。時代で言うなら桓武天皇の時代か?(奈良時代末期~平安時 代初期)
 洞内は通年11℃。なので羽織るものを忘れずに、夏もいいですが、秋や冬に行くのもいいかもしれないな ぁと思っている。あ。羽織るものの他に大き目のタオルがあった方がいいだろう。出来たら足元はトレッキン グシューズがいい。滑りやすい上に、アップダウンが激しいから。

 各名所にはプレートが掲げられていますが、受付で地図をもらった方が無難かと。歩いているうちに方向感 覚がなくなるかもしれないので。

 

 率直な感想としては冷房をガンガンに利かせた室内トレッキングという感じだろうか。子供の頃に行った時 と明らかに違うということだけははっきりと分かった。

 子連れが多かったのが印象的ではあるが、幼児の一人歩き禁止の看板が目のつく所に幾つもあったのが気に なった。知識がなければただの暗くて寒い洞窟に過ぎないのだから、さっさと出たいんだろうな。

 

 名所の名称は、新洞はともかく、旧洞は極楽と地獄がごっちゃになったような印象を受ける。三途の川とか 地獄谷、賽の河原、あみだの原、十三仏の掛けじくなど。賽の河原の隣に縁結び観音があったのは、個人的 に思わせるものがあった。

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 この縁結び観音さまだけ妙に綺麗に撮れた。
 賽の河原は親より先に死んだ子供が行くところ。縁結びは縁(えにし)を結ぶ訳だから、来世における良縁 を結んでくるのだろうなと勝手に解釈。となると、賽の河原は虐待や育児放棄されて死んだ子供も入ってしま うのか?・・・・死後も顧みられなかったらその可能性はあるかもしらんが、若しそうだとしたら何だか理不尽さを感じるな。

 

 オススメは水琴窟(すいきんくつ)。
 これ、自分の記憶の中にはなかったのだが、それも当然。設置されたのが平成8年だから。
 じゃあ、この水琴窟とは何ぞや?というのは、日本庭園の特殊技法の一つで、地中に埋めた水を張った瓶に手水鉢の水を滴り落とし、水音を反響させて音を出させたもの。音は小さい。
 鉱物で叩くと澄んだ音がするものがあり、それで作られた楽器があるのだが、それに似ている。
 静寂を保ちつつ聞き入っていると己が如何に雑念に見えているのかがよく分かる(笑)。こういった場所で は情緒の理解出来ないトモガラは迷惑でしかない。

 

 地図にはあるのだが行けない場所が2ヶ所。

 この場所↓は十二薬師さんが祀ってあるのだが、そこから先にある。

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 地図にも行き止まりとあるが、その先 に大広間と底なし井戸というのがある。行き止まりも人工的に塞いだというよりは、地震で崩れたかのようだ 。勿論入り込む隙間すらもない。

 あと、祀られている社の天井に鱗状の物があるのが分かりますか?
 それ、全て硬貨です。つい口をついて出た言葉は「罰当たりめが。」だった。最近の住宅事情もあるんだろうが、神棚が何で天井近い場所に設置されるのか理解しやがれ(←そもそも神棚ある家の方が少なくないか?)。
 

 洞内で最も過酷なのは新洞に入ってすぐの世紀の断層でしょー♪
 はい、上から見た画像をどーぞ!

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 矢印の下にも階段あり。そしてここから先もハードな上り下りが続く。しかも狭い。

 

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 氷柱状のものが所謂鍾乳石というやつです。たまに鉱物の展示即売会場でも見かけることがある。
 氷柱上に成長するこちらは1cm伸びるのに70年ほど掛かるとのこと。下に落ち堆積して成長したものを石筍(せきじゅん)というのだが、こちらはもっと時間が掛かる。何と倍近い130年。とすると、上下が繋がっているもの(石柱)は一体・・・・眩暈がするよ。

 見所の一つで、金剛杖と名づけられた石筍がある。大凡(おおよそ)2m50cmだそうだ。ざっくり計算して32500年・・・・・・。

 

 途中こんなもの↓を見かけたのだが、ふわふわしたものは苔なんだろうか?

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 これだけ人が入り込み、人工光とはいえ、サンサンと光を浴びれば育ってもおかしくはないな。

 

 道が狭いのと後から後から人が来るためのんびり写真なんぞ撮ってはいられず、外に出ました。

 

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 鍾乳洞に下る前にあった神社。読みは「いっせきさんじんじゃ」らしい。
 御祭神は天照大神と稜威尾走命(イズノオバシリノミコト)。明治維新廃仏毀釈 によってできた神社とのことだが、 一石山御岩屋や一石山大権現と呼ばれていた過去から考えるに、本来は鍾乳洞そのものが御祭神ではなかろうか?
 
 実はここ、一石山及び金袋山他への登山口になっている。ただ、今日はそういった人は見かけませんでした。

 

 この少し手前には神明水という霊水が湧いています。ただ、冬は枯れていることが多いらしい。
 いつものようにお守りの水晶をざぶざぶと洗浄しました。

 

 後半へ続く。

 

 

 本日のお茶。

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 お茶は水出しの加賀棒茶。
 お茶請けは頂き物のわらび餅。滋賀県のだったか?

 

 よく見ると模様がある。

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