昨日の不倶戴天の敵は 今日の刎頚の友

日がな一日世界の傍観者となって独り言をのたくった跡

紅解(ほど)け花嵐(からん)の夜はしんと過ぐ 燀(も)えよ若芽よ命の如く

 本日の内容は全てタイトルの解説なので、備忘録的故にオススメしません。語り書きはしているが。

 

 上弦の月が綺麗だなぁ。あぁ、桜も散り始めたねぇ。と思う傍ら、この日ってモスクワの地下鉄で爆破事件なかったっけ?今はもうあれだがね。などと思って帰宅していた。

 で、そんなごた混ぜの思考をまとめた結果が本日のタイトル。読みようによってはかなり血腥い( ̄▽ ̄;)自分としては赤と緑の色対比と静と動の状況対比を入れているつもりなのだが、分かりにくいかもなぁ・・・。

 

 して、桜の花って蕾の状態だと花びらの先が赤いんですよ。で、蕾が綻びるとその色が消える。若い芽というのは葉とも言える。植物によっては赤いんですよね。で、ちゃんと出てくると艶々の緑色になる。これが色対比。

 

 花嵐と書いているのに「し(ー)ん」という言葉が入っているのは、桜の花は風がなくとも雪のように降ってくるからというのもあるのだが、嵐という字には、山に立ち込める気という意味もある。眺めていた桜はヤマザクラで、実際山間部にいたので後者の意で使っている。 

 ここまでが静。動はというと、以下。

 

 燀(も)えるはそのまま燃えるとも言えるのだが、(火花が)弾けるとか飛び散るという意味を持つ。

 命は生きるためのエネルギーという意味で使っている。そして「命=魂」として、「魂=玉し火」、「玉し火⇒美しい輝き」、「美しい輝き⇒艶々な緑色の若芽」、「若い⇒青い」、「青い⇒東」、「東⇒エネルギー溢れる」、「エネルギー溢れる⇒生命力旺盛」とキラズが思考は廻(めぐ)った。

 「青い⇒東」とくるのは五行説のイメージから来ている。それに今春だし(青春、朱夏、白秋、玄冬というだろう?) 

 で、これで静と動の対比となる。

 

 直球解釈だと、花が咲いて散り始めた静かな夜でも葉を茂らせるために動いているのだな。という歌になる。

 血腥い解釈というか変化球解釈は、桜を慰霊の木として捉え、怨嗟や青血が飛び散った古戦場が怨念の地とならない為に、山の気を吸ってそれを浄化還元し山に馴染ませる媒介の役目を果たしている。

 つまり大地に染み付いた負の念を吸い上げ、それをエネルギーとして美しい花を咲かせ(浄化し)、そしてまた花の準備を始める。という歌になる。

 

 うーん…それにしてももっと情景が結びつき易いものを書けないもんかねぇ(;^ω^)?難しいのぅ。