観賞していた時間よりもむしろ待ち時間の方が長かった・・・・。美術館の外側まで列が延びていたのは初めてだよ。
ずーっと見たいと思っていたスラブ叙事詩。本国に行くしかないのだろうか。と思っていたら、日本に来る。と!!知ったのは去年の秋だったが、飛び上がるほどに喜んだよ。
それにしても最大610cm×810cmもの絵画をよくもって来られたな。と。そしてよく全点も貸し出してくれたものだな。と。
馴染みが薄いと思われがちなチェコだが、探すと意外なところに縁がある。ただ、歴史については殆ど知らない人が多いかと。日本で最も有名なチェコ人といったら、ヤン・フスだろうね。教科書に出てくるから(フス王の火刑)。
個人的にはリブザとシジュカが印象に残っておりますな。リブザに関しては過去にイラストを描いたことがある。HPにアップしていはいるが、閉口物を通り越しての拙さなので、覚悟の程を。
リブザは兎も角として、シジュカは隻眼の指揮官で、眼帯をして描かれるので印象に残っている。"欠けたる者"って忌み嫌われる存在であるのにも関わらずこうして描かれるということは、欠かすことの出来ない存在なのだな。という意識もあるが。
事前に知らなかったのだが、行く直前にデジカメを持って行った方がいいのではなかろうか。という意識が働いたので持って行ったら、スラブ叙事詩は一部撮影可能だった。
人が多かったので撮影は困難でしたが(恐らく殆どの人がそう思っていただろうね)、結果はまずまずというところだろうか。
《イヴァンチツェの兄弟団の学校》
盲目の老人に印刷された聖書を読んでいる青年はミュシャ本人がモデルだそうだ。
《聖アトス山》
《聖アトス山》の下部、左からアップしたもの。
未完の《スラブ菩提樹の下で行なわれるオムラジナ会の誓い》。
娘・ヤロスラーヴァがモデル。
息子・イジーがモデル。
《スラブ民族の賛歌》の中央部。
《ロシアの農奴制廃止》。
ロシア人のパトロン(?)に依頼されたらしいです。舞台は勿論赤の広場。
《スラブ叙事詩》は必ずこちらに視線を投げかけている人がいる。
メインのスラブ叙事詩の他にアール・ヌーヴォーや1900年の万博、独立のための戦い、習作と出版物といったカテゴリーに分かれておりました。
作品は分かりやすくて良かったのだが、如何せん自分の知識量が足らず、いまいち消化不良の感が否めない。
図録にしてもショップの品揃えにしても歴史に踏み込んでいないのが気になるところではある。尤もその地域を少しでも理解するに当たっては、相当膨大な歴史を学ばなければならないので敢えて触れないでおいたのだろうなと思う。
欧州が一応現在の形に落ち着いたのはそう昔の話じゃあないし、分割や統合を繰り返してきた地域の歴史を学ぶには、最低でも3点の視点(観点)が必要だ。・・・・キラズが如きに理解出来るわけがない。
んー、で、まぁ12時丁度に並んで出てきたのは16時半過ぎ。へにょねひょになって帰宅しましたさ。つか、出てくる前に飲食していないというのが効いた(←・・・・オイ!!)
その後ちょこちょこ食べて夕飯作った後に習いごとに行きました。
本日のお茶。
お茶は17年はダージリン1stフラッシュ、サマビオン茶園のスプリング・ブロッサム(麿さん要望)。
お茶請けはフランスのショコラティエさんが手がけたカントゥチーニ。SDCで入手したもの。勿論半分は麿さんへ。チョコレート+ハシバミ、プレーン+アーモンド。美味しかったがシナモンが入っていた為途中で撃沈。ついでにお茶には合わなかった。