昨日の不倶戴天の敵は 今日の刎頚の友

日がな一日世界の傍観者となって独り言をのたくった跡

渡り、始め。

 ・・・・抜けるような天気というのは今日のようなことを言うのだな。

 

 本日未明 我が家の兄猫・文太があちら側に鹿島発ちました。

 推定年齢 15歳4ヶ月。

 死亡推定時刻は2時~3時頃。

 死亡原因は胆汁嘔吐に伴う気道閉塞による窒息死かと。

 

  これを書いている現在、既に荼毘は済ませました。骨壷は仏壇の前に安置しています。

 

 面倒見がよく、寛容で忍耐強い。比較的迷惑を掛けることを嫌った。猫らしくない性格。これは獣医さんも認めるところ。

 最期は排泄などを全て済ませて、誰にも知られることなく座布団の上で冷たくなっていたそうだ。

 

 第一発見者は麿さん。発見時間は4時(この時間に声と突っつきでご飯を強請られていた)。発見の状態は伏せておく。

 医者に連れて行くことは主に麿さんがやっており、今回の遺体の安置、冷蔵処置から業者の手配まで6時には済ませていたようだ。自分は7時前に寝床で母に知らされた。

 

 夏に少しずつ体重が落ちて、夏バテだと思ってそう深く考えていなかった。

 明らかにおかしいと思ったのが9月の終わり。

 どんどん痩せていって、かつて過去最大8kgを誇った体重は最終的に1/4近くまで落ち込んだ。本来だったら動くこともままならないが、それでも生き続けたのは血の繋がった妹猫の桜の存在が大きかった。

 前日まではとても元気だった。最後の気力を振り絞っていたんだなと後で分かった。

 

 母の鞄の鎖が不自然に切れていた事、自分の勾玉の首飾りの革紐が突然切れた事、普段携帯で写真なんか撮らない父が突然夜中に文太を撮影したこと(死の2時間くらい前)、勝手な思い込みかもしれないが、兆しだったのかもしれない。

 

 麿さんにもだが、文太には本当に有難うと言いたい。そして桜にも。

 あと既述してあるが、当日荼毘に付した。そして業者さん曰く、とても白い骨がしっかりと残っていたそうだ。

 

 寝不足と食欲不振が重なり、更にこのダメージ。しかしながらいつものことをいつもの如く過ごすように努めた。鉱物写真撮って、お茶して習い事行って・・・・。そうでもしていないと灰死してしまいそうで・・・・・・。

 大好きな存在と死別という形で別たれるのはこれで2度目だが、1度目のダメージがあまりにでか過ぎた為、今回の感情の処理はある程度上手くいった。と思いたい。最終的にどうなるかは分からないが。

 

 お茶は幾度もしているが、今日は張らないでおく。