昨日の不倶戴天の敵は 今日の刎頚の友

日がな一日世界の傍観者となって独り言をのたくった跡

ミラクルエッシャー展及び江戸の悪PARTⅡ展に行ってきた

 タダイマ昇華中ニテ候。

 

 世間は三連休。一足先にお休みってことで、往ってきました。エッシャーの方は会期短いしね。  

 

 エッシャーといえばだまし絵。なのだが、今回は彼の謎を解く8つの鍵を追ってゆく展示。

 だまし絵以外にも描いているのだが、それ以外の作品はあまり目にした事が無い。

 

 8つの鍵⇒科学、聖書、風景、人物、広告、技法、反射、錯視

 よく知られているのは反射と錯視かと。かの有名な(?)わけの分からない生物こと、でんぐりでんぐりもそのコーナーにおりました。「いっぱいいると、ちょっと、ヤ」な感じをさせてくれるような作品もあった。

 もし一人で行く場合、会場内の五月蝿さに注意しておくべきだな。マナー悪いのも多かったしね。なので、行く予定がある方はチケットの裏をよく読んでおきませう。

 ついでに始めから並んでみようとしない方がいい。恐らく半分いかないうちにぐったりしてくる。幾ら館内が涼しいとはいえど。

 

 並んでいる最中、入り口付近で結構大きなトンボが飛んでいたので、職員さんが虫捕り網を館内から持ってきたのに驚きました。

 ・・・・ちゃんとあるのだねぇ。

 ちなみにトンボは虫捕り網を見るや否や、物凄い勢いでその場から去りました。仮に見えてなくとも雰囲気で察したんだろうな。

 

 いかん、話が逸れた。

 

 会場内も展示に合わせて少し不思議な構造になっておりましたね。人が少ないと特にそう感じる。一瞬ぐにゃぁ~とした感覚に襲われる。

 空間デザイン誰なんだろう?

 

 鍵毎に説明があるのだが、時間がなければ読み飛ばした方がいいかもしれない。

 自分が集中力が皆無というのもあるのだが、腰を据えてじっくり読むにあたっては人が多過ぎるように思える。どつかれるしな。

 

 聖書の項目は全く見た事ないものばかりだった。何故に宗教色帯びた作品を描かなくなったのかも説明されていて、ただ単に科学が目覚しく発展した所為だけではないのだなという感が強かった。ファシズム恐るべし。

 

 描いてはいたが描かなくなったのは人物画だが、というと言い方に語弊があるが、だんだんと存在だけになっていく。つまり人物の個性が消えていっている「もの」になっていっている。

 ただ、そういったベクトルに傾くことで空間に隙間が出来るので、鑑賞者はその中に入っていくことが出来るのだと思う。

 

 広告のところには《漢字用便箋のためのデザイン》というのもあったのだが、繋がりがよく分からんかった。依頼主誰よ?

 

 技法の項目には、《地下聖堂での行列》というのがあった。見れば分かる、あの怪しい白装束行列。自分のPCの上にフィギュア乗っているが。てか、PCの上にロクなモンしか乗っていない(笑)。  

 個人的に《空中の城》と《水没した聖堂》というのが良かったが、ポストカードにはなかった。残念だ。

 他にも昆虫が幾点かあったのだが、あまりのリアルさに少し引いた。嫌いな人見たら泣くぞ、コレ・・・・。

 

 展示の一番最後を飾ったのは、エッシャーの作品群の中でも最長の4m近い版画。

 作品背景にナチスドイツの台頭と両親の死があるそうだが、何も思ってこの作品を?とは思った。作品名は《メタモルフォーゼⅡ》。

 

 ショップでポストカードを幾点か購入した後、SNSかなんかに上げる用?の映像コーナーがあった。当然用はないのでそのまま外へ。

 流石に飲まず喰わずはまずいだろうってことで、自販機で水を購入して木陰でお昼にした(お弁当持参)。

 

 お昼を食べながら、この時期忍池に行くと、綺麗な薄紅色の蓮華が咲いていることだろうな。などと思いつつ、午後の予定を考えた。取り敢えず脳内に入っている情報のみで取捨選択した結果、太田記念美術館へ♪ちゃんとねっとわーくを搭載していれば、スマートに決められるのだろうけれども、基本行動は一人なので気にしない。

 

 最寄駅は原宿。上野から行くとほぼ正反対に位置しているので、山手線にて熟睡(新宿で目覚めた)。

 以前平成27年(2015年)に開催した時、好評だったので第2弾。ということらしい。し・か・も。今回様々なところとコラボしておりまして、この他4会場で「悪」絡みの展示をやっております/おりました。

 ヴァニラ画廊の「HN【悪・魔的】コレクション~evil devil~」は終わってしまいましたが、

 

 国立演芸場演芸資料展示室の「悪を演(や)る―落語と講談―」は22日まで。

 国立劇場伝統芸能情報館の「悪を演(や)る―舞台における悪の創造―(仮題)」は9月24日まで。  

 東洋文庫ミュージアムでは「悪人か、ヒーローか Villain or Hero」が9月5日まで。

 國學院大學博物館「惡―まつろわぬ者たち―」が8月5日まで開催されています。

 

 背徳的行為に一種の甘美さを感じているのか。自分が出来ないことに憧れの感情も交えたものを抱えているのか、惹き付けられる人は多い。人の側面の一角であるからなんだろうけれど。

 

 前期・後期で完全入替。前期・後期も前後半と分かれており、少ないもののどちらかにしか出品されないというものもあった。

 悪と一口に言っても様々ありまして、盗賊、侠客、浪人、悪僧・悪の医者、悪の権力者・悪臣、悪女・女伊達、悪の妖術使い、恋と悪、善と悪のはざま、言葉としての悪という分け方をされています。

 

 全体的にグロイ絵もあるのでそこは注意。

  盗賊や侠客は見得を切っているのが多い。見ると装束が結構お洒落なんだよね。

 悪の権力者・悪臣は定番中の定番、平将門藤原時平高師直がいました。前期には蘇我入鹿がいたようです。大伴黒主がいたのは、きっと能(「草紙洗い小町」)の影響だろう。

 

 妖術使いは主に芝居からだが、誰かの遺児というのが割り合い多いと思う。滝夜叉姫と良門の姉弟とか、若菜姫、義高は全員遺児だしね。

 姉弟平将門の、若菜姫は大友宗麟の、義高は木曽義仲の遺児。

 

 恋と悪は、〝愛を得る為と戦いにおいては全てが正しい〟という英語の諺通りだろうか。

 定番の累姉さん、お岩さん、お菊さん、小平次といったどろっどっろなものもあれば、お七のような純真が狂気になり染まったものもあった。

 あと、安珍清姫、清玄と桜姫があるのなら、深草の少将と小野小町があってもいいような。と思ったのは自分だけだろうか?

 

 善と悪のはざまは、善人だった者が酷い謗りや侮辱によって悪に傾いたり、悪人だったりしたものが最後に善行をしたりと流れのあるものや、手違いや勘違いで・・・・といったもの。

 現在でもあるが、勘違いで殺人まで行くのかよ・・・・(滝汗)。やられる方は堪ったもんじゃあないな。

 

 言葉としての悪は、今と昔は悪の持つ意味が違うってことについて言及していた。これは歴史を知っている人や古典を読む人ではなくても、高校卒業レベルの知識があれば知っているであろう範疇なので、特に説明は不要だろう。

 面白かったのは、善玉と悪玉が人にとり憑いて悪の道に引きずり込もうとしたり、善玉がそれを押し留めたりという作品があり、今も昔も変わっていないのだな。と思った。

 漫画的な表現で例えるのなら、人物がどうしようか悩んでいて、左右にその人の心の中に宿っている天使と悪魔がお互い主張して言い合っている。といえば分かり易いだろうか?  

 

 そういえば、物凄く熱心にメモを取っていた外国の方がいました。ショップの方でその方とすれ違いましたが、幾種類かの手拭いを手にして色々と悩んでいましたね。

 自分は鮎と出目金の手拭いを購入(って、また魚かーい)。

 その日持ち歩いていたのが周期表(Nh入り)だった事に加え、自分の後ろに並んでいる人がいなかったのでお店の方にお見せしたら、近くにいた2人連れの女性客の方々に「どこで売っているの!?」とつっこまれました。

 専門店(科博)といった旨をお伝えしたところ、「これは意外な盲点だわ。」とのこと。お店の方も「同じ専門でも専門違いですね~。」と笑っておりました。

 

 太田記念美術館を後にし、向かったのは高島屋。  和菓子を買いに行ったのだが、シーズンイベントコーナーでラヴィニア・ティーさんが出店していたので、お買い物♪(←いい加減学習しろや)

 ちなみにレベルはリーフルさんに匹敵する(個人の感想です)。

 

f:id:runningwater:20180714014540j:plain

 しかし本日のお茶はみかんじゅーす・・・・って、お茶じゃあないじゃん。

 お茶請けは大麦のダックワース。栃木県足利市は大麦工房ロアさんのだったかな?