昨日の不倶戴天の敵は 今日の刎頚の友

日がな一日世界の傍観者となって独り言をのたくった跡

今年最後の天赦日

 天赦日(てんしゃび)。それは暦における吉日の一つであり、他の吉日こと天一天上と同じく年に6回しかない。ついでに本日大安にして甲子にして以下略という、吉日重畳である。ちなみに立冬。暦の上では冬ってこった。

 

 御幣担(ごへいかつ)ぎというわけではないが、どうせなら善き日を選んでもいいじゃないか。ってなことで、ある程度認識はする。新暦に生きてはいるものの、多少旧暦を意識するのと同じ感覚。

 

 今日のように吉日が沢山重なっている場合は兎も角、吉凶混合している場合は一体どれを優先すべきなんだろうねぇ?

 清少納言だったかな?細かくごちゃくちゃに重なっている暦について「煩わしい!」と一刀両断にしていたのは…。平安貴族らしからぬお言葉だが、実際そう思っていた貴族は多そうだ。

 記憶があやふやだが、平安貴族は確か年間200日程暦に縛られて祝祭事を行なっていたとのことなので、そりゃ煩わしさも感じるだろう。

 あまり触れられることがないのだが、その時代の貴族以外の人達や平民の暮らしって一体どうだったんだろう?興味はあるが、ちゃんとした史料を見た記憶がない。

 比較的安穏な時代だったせいもあってか、奈良時代の方がちゃんと史料が残っていたりすることもあるから、そこから浅い想像を働かせる他ないか。

 

 して、目立って良いこともなければ悪いこともなかったので、或る意味今日は善き日だったとも言える。何でもない日って幸せなことだからね。