昨日の不倶戴天の敵は 今日の刎頚の友

日がな一日世界の傍観者となって独り言をのたくった跡

本阿弥光悦の大宇宙展と中尊寺金色堂展に往ってきた

 場所は同じ東京国立博物館。平成館と本館の大階段下の特別5室。

 所々にオカルト的な話(怖い話ではない)が散っているので、拒否感ある人は開かないことを強く推奨します。

 

 江戸時代に芸術を一端を牽引した法華町衆を知っていればより楽しいと思う。

 で、まぁ本阿弥光悦といったら、まぁ、刀剣は外せないだろうってなことで往ってきたが、光悦さん自体マルチクリエーターでもあるので他にどんなものと出会えるのかな?と楽しみにしていた。

 

 ここからオカルト的な話になるが、この展示に参加している物達、「俺達は愛されている。自覚」のオーラが凄い…。何すかね、この自信は…。でも高くとまっているわけではなかったので、気の輪郭はほんわりしていた。付喪神?自体若い所為もあるんでしょうかねぇ?

 国宝の名物後藤藤四郎がありましたが、この短刀見た瞬間、一気に蓮華の花畑が広がったのには驚いた。実際その後刃を観たら、えっらい華やかなのな。

 色纏いしていたもので印象に残ったのが名物北野江。日本の色鉛筆にみられるエメラルドグリーンをしていました。

 

 光悦さんの筆は、肥痩(ひそう)が激しく尚且つ筆致が早いのがよく分かる。そして能書。何か高速で硯と紙を往復している筆の幻覚が視えましたよ(-_-;)晩年中風に罹って筆致が震えているものや、片腕で震えを押さえつけながら書いたと推測される書などもありましたが、能(よ)きものではあることに変わりなかったですね。

 書自体は途中で字体が変わったりしていて、自分に読めるところとそうでないところがあってσ(๑° ꒳ °๑)ハテ?となることしばしば。

 

 深(こ)き色紙に金銀泥で表紙を描いた本があったのだが、金銀泥の暈(ぼか)しってどうやるんだろう?と思った。字を書くにしても金銀泥は粘っこいとのことから、余程達筆でないと読めたものではないらしい。

 

 17世紀は謡(うたい)が流行った時代でもあるようで、様々な謡本が発行されている。展示されていた多くは雲母(きら)刷りだったので、頭を上下させながら鑑賞していました。そういった鑑賞者は多く、その姿を後ろから見て「モグラ叩きですかな?」と思ったのはここだけの話。

 

 展示物の中には三蹟が一人、小野道風が書いたと伝わる断簡がありました。平安時代のお人だよね?ついでに残る二人は藤原佐理藤原行成

 やってくれるぜ…と思ったのが俵屋宗達とのコラボ。贅沢キャストだよ、ホントこれは。鶴下絵三十六歌仙和歌巻という巻物なのだが、余すことなく全公開。光悦さんの筆捌きもさることながら、宗達さんの鶴の下絵も躍動感があって観る者を飽きさせない。いや、もう眼福でございました。

 

 二次元空間での妙才ぶりを発揮した後に来たのが、光悦さんが焼いた茶碗。てか、一緒に展示されていたのが 桃山前期の京の陶工、楽焼(らくやき)の始祖こと長次郎の茶碗と、後に樂歴代随一の名工と称される道入のお茶碗なので見応えあります。

 道入さんは元々光悦さんと親交があり、光悦さんの黒楽茶碗の大部分は道入さんとその父親の窯で焼かれている。

 長次郎さんのものが展示されたのは、楽焼繫がりだろうと思う。

 

 実際見ていて欲しいなと本気で思った。黒楽、赤楽他飴釉楽、白楽とあったが、ぐっときたのはやはり黒楽。これでお抹茶頂いたら引き立つだろうなと思った。

 二次元のとは異なり、お茶碗の付喪神?って何でこうもどっしりと構えているものが多いんでしょうね?見た目ゴツイの多いし。ついでに紙資料系は何でか知らんけど小(ちぃ)サイズの方が多い。

 

 前半は兎も角、後半は作品と作品の間が大きいのでサクサク観られます。が、展示されている作品そのものが大きいので、全形観るとすると時間掛かりました。

 ショップは自分としてはこれといったものがなかったので、ささっと撤退して本館へと移動しました。

 

 今年で建立900年ということで、中尊寺金色堂展が開催されていました。

 像や残決などの年代が平安時代とあってか、結界濃度が濃いというか厚いんですけど…。ずっと居たいけど神気に中(あ)てられてさっさと遠ざかりたいというか、そんな感情がごちゃ混ぜになる。ちなみに結界の色は千歳緑。 

 

 そして展示室では思わぬ方の筆とご対面。

 北畠顕家、オマエかー!とツッコまずにはいられなかった。彼は中尊寺建立供養願文を写していた。中尊寺の位置は言ってしまえば奥陸奥(おくむつ)。その影響は白河まであったとされるから、霊山(りょうぜん)城にいた彼が知っていてもおかしくはないが、何故に写したのだろうか?と疑問が残った。

 

 展示物の殆どが国宝なのだが、中でも素晴らしいと思ったのが、持国天増長天の立像。仏師の名は明記されていなかったが、今にも動き出すのではなかろうか?という動きの滑らかさでした。

 踏まれている邪鬼の足、指が2本しかなかったので、平安時代はこれが普通だったんだろうか?梁の上からぶら下がれませんよ?(←世界線を見直してこい)

 

 一ヶ所だけ写真撮れるところあったので、アップしときます。

 縮尺控え忘れたので分からないですが、中尊寺金色堂のミニチュアです。キラッキラでございますなぁ。

 左側に回り込むと…

 屋根の中の構造が見られます。

 

 ぐのんぐのんといい加減具合が悪くなってきたので戦線離脱し、ショップでかわらけかりんとうなるものを購入して、移動しました。残り時間があまりなかったので、さら見して博物館を後にした。

 

 オマケ。

 眠った状態で夢が漏れているのか、なんだかグニャグニャ変容していてよく分からん形状だった。色纏いはしていたのだが、ベビーブルーというかペールブルーで実は寂しがり屋なのでは?と思ってしまった。まぁ、オカルト的な話で申し訳ないが…。

 正体は↓

 拵え併せて佩刀装置は↓

 江戸時代の物らしいです。

 

 ※色纏い⇒物が色を纏っているように見える現象。もしくは物を色に置換する現象。いずれも無意識に行なわれるが、対象の事前情報がある場合などは起きないことが多い。まと置換が色でないこともある。 

 

 帰宅が遅かったので、今日はお茶をしていない。