ペルシャと中国の食文化が日本の技巧によって生まれたもの⇒あんぱん。
あんぱんに続いたのがクリームパンとジャムパン?かチョコレートパン?のどちらか。で、それを3本柱と称す。
それに対抗して作られたのがカレーパンだったそうだ。原形はピロシキですかねぇ?
今とは違って明治時代の日本ではパンは受け入れられなかった。値段の問題の他に小麦の品種の問題もあった。それに小麦は粉にする手間からして、日本においては御馳走に近い位置付けだった(餅みたいなもの)。
受け入れられるというか、一般に食べられるようになったのが米の不作による飢饉だってんだから、なんだかな。という感はある。
明治時代の文献に目を通してはいるものの、探し方が悪いのか売り上げ記録や当時の人の感想などが見つからない。興味あるんだよね。どんなものだったのか。
理由?ほうとうのように日本に入ってきた時はお菓子だったのに、現在は全く別物として定着しているものなどもあるから。それに、カレーは嫌いなのだが(作るのは好きだ)英国を手本としていた明治時代の日本は一体どういうようなカレーを食べていたのかも気になる。
そんなことを夜夜中に急に考えてしまった次第。
本日のお茶。
お茶はポルトガルのお茶(ラスト)。
お茶請けはチョコレートケーキと同エクレア。