昨日の不倶戴天の敵は 今日の刎頚の友

日がな一日世界の傍観者となって独り言をのたくった跡

あんちひきこもりぷろじぇくと その3

 …腹と覚悟は決めるためにある。

 

 出たのが比較的遅く4時半だったかな?

 慣れていないのにあまりに暗い時間出るのもどうか。と思った結果であるんだけどね。ぷーさんには遭いたくないし(3つ程意味があるが、この場合は一般的な解釈でどうぞ)。

 

 槍沢ロッヂが管理しているキャンプ場で、ババ平というところがあるのだが、そこで朝ご飯及び休憩とした。思ったよりテント泊の人がいた。

 そして悪天候時の避難場所なのか、石垣づくりのような建築物があった。その近くに小型だが重機があったのには驚いた。次に思い浮かんだのが「運送料幾らだろうか…」だった。

 折り畳み式のものもあるという事は知ってはいるが、恐らくこれは構造上そんなものではない。つまりホールで運んだ?とすると?以下略。

 

 …と、まぁ始めは呑気に事構えていましたよ。

 

 槍沢ロッヂ⇒ババ平⇒大曲⇒天狗原分岐点

 と進んだ。大曲は東にある西岳、赤岩岳方面との分岐点。天狗原分岐点は西にある南岳方面との分岐点。

 天狗等原分岐点を少し過ぎると水沢というところに出るのだが、そこで水が補充出来る。

 

 冷たい水が双方の登山者には非常に有難い。のはいい。

 気持ちは分かる。分かるが頭洗うなよ…。 

 

 水沢の先には坊主の岩小屋というのがある。

 一体そこが何かというと、槍ヶ岳の穂先に初めて立った人が籠った場所。

 播隆上人という御仁が初めて立った人。そしてこの方、山岳修行僧。時代は江戸時代後期。5回上り、4回目の時にその岩小屋で2ヶ月近くを過ごしたとされている。

 

 槍ヶ岳山頂が見える場所(森林限界より上)は急激に開けるのだが、そこから先が長い。とかく長い。ずっと見えているのに歩いても歩いてもつかない。

 そのうち何でこんなことしているんだろうなぁ?という思考に陥った。それと同時に、当世を知る由はないが、今よりも環境が過酷だったと思しい状況を乗り切った播隆上人って、色んな意味で化け物じみてんなぁと思ったことも付け加えておく。

 実際登っている途中でも化け物じみた人達にもお会いしたしな。上半身裸(下は短パン)で登山している人、初めて見たよ(;゚Д゚)しかも歩くのめっさ速っ!

 

 坊主の岩小屋を過ぎてからどんどん天候が怪しくなり、今日は登頂諦めざるを得ないな。でもま、往くだけ往こうってことで足を進めた。

 もうね、この時点2人してヘロヘロ。そして11時にもなっていなかった。

 

 槍ヶ岳山頂に最も近いところに槍ヶ岳山荘という場所があるのだが、そこに着いた時には辺りは真~っ白。

 山荘でお昼にして、一休みした後本日泊まるヒュッテ大槍に行くには?と地図を確認しようとしていたら、同行者が山荘の人に道を聞いて、ロクに確認もせずにそれに従った。

 

…アホだったーっ!!

 

 ちゃんと確認すべきだったよ。

 教えて頂いたところが東鎌尾根。…うん、ほぼ全域滑落・落石注意エリアだった。えー、あー、ん~っと、俺等初級者なんすけど?

 雲で場所が包まれている状態で梯子や鎖場を行けと?って、往ったけどさ!逝かなくて良かったよ。土産話がリアル冥途の土産話になるとこだった。

 

 反対側に西鎌尾根というところがあるのだが、西は東に比べると比較的穏やからしい。そして槍ヶ岳の後ろに控え死(←打ち間違いだと思う?思う?)北鎌尾根ですが、入れなくはない。上から見ていると歩き易そうな感じはある。

 死傷者、両手両足の指では足らんのだよ。そして未だに行方不明者も。ザクロ(スイカ)の仲間になりたくなければ近寄るべき場所ではない。

 ちなみに死傷事故に遭う人達というのは、50代以上の単独登山の男性が最も多いという事だ。尤も何人も気を付けるに越したることはないがな。

 あ、そうそう。東鎌尾根で幾人か人とすれ違いましたが、女性の単独登山の方もいらっしゃいました。

 その方とは翌日もすれ違うことになり、山頂でご来光を望んだとのことでした。

 

 して、無事ヒュッテ大槍について暫くしたら、物凄い土砂降りになった。幸いそう長いものではなかったが、東鎌尾根歩いている時でなくて良かったと思った。身、隠すとこすらない場所だったしね。

 それからまた計画の練り直し。

 

 床に就いたのは早かったものの、アドレナリンというか脳内麻薬の分泌の所為で一向に眠気に襲われず。比較的寝つきはいい方なんですがねぇ。

 やがて寝付いたものの、やはり途中で暑くなって起きた。

 なんでだろうなぁ。

 

 その4へ。