昨日の不倶戴天の敵は 今日の刎頚の友

日がな一日世界の傍観者となって独り言をのたくった跡

信じるとか信じないとか、そういう問題なのか?

 ダーウィンの進化論ってありますわな。読んだことなくても、実際詳細は知らなくとも、「人間は猿から進化した」という言葉はご存知かと思います。
 御託を並べることを許されるのであらば、「それ」は確証らしきものに基づいて一旦結論付けられた、現在において"もっともらしい"仮説。

 

 そしてこれを科学的な検証など一切せずに、真っ向から反対している存在があることも、多くの人が存じておるかと。

 

 あくまで日本人的なというか個人的な宗教観に基づくが、良く言えば敬虔な、個人的な主観からしたら狂信的な信者等はその説を「信じない・知らない」。知らないのならシカタノナイコトかもしれないが、信じないってナニ?
 そもそも知識の一環として知っておくことであって、信じるかどうかは全くの別問題だと思うのだが?
 同じ俎上に上げられないような問題だと思うのだが、彼等は平然とのたもう。「聖書・聖典に書かれていることと違うから。」

 

 

   ε-(;-ω-`A) ・・・・フゥ

 

 


 ↑率直な感想です。


 その説を信じるということは聖書・聖典を否定することになる。からというのは分かる。つか、それ以前に知っておくだけという選択肢はないんかい!?

 

 ・・・・ 宗教に多様性を求めること自体が無意味だったな。
 じゃ、本日のお茶。

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 お茶は量が足りなくて薄くなってしまった、頂き物のダージリン(ラスト)。水出しです。
 お茶請けは父から頂いた日糧製パンさんのオレンジケーキ。