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昨日の不倶戴天の敵は 今日の刎頚の友

日がな一日世界の傍観者となって独り言をのたくった跡

国際霊柩送還士は動く

 感情論は脇に措いて置く。

 

 連鎖反応的にテロが起こっている。
 日本に限らず、飛行場に着く棺の写真をを見て、この影で彼等は動いているんだなと思う。そしてそれと同時に、泡沫人となれども帰って来られただけ幸せだよね。とも思ってしまう。
 現実的な話、海外で亡くなっても日本に帰って来られないこともある。戦中においての話ではなく、現在においても。またどこぞのK国のように、文字通り"遺体ビジネス"を始めるような国もある。

 

 今回バングラで引き起こされた事件の主犯者等は、高学歴で裕福な学生達だったと報道されている。ダーイシュの戦闘に参加している外国人勢というのもそういった者達が多いとされている。 
 中流以上の移民2世以降や高学歴だったり留学の経験があったりした人が「イルハービ(テロリスト)」や過激派に傾倒するようになったのが目立ち始めたのが大体10年位前(←実際はもっと早いかもしれん)。


 この傾向を、その10年の間に、「ただ生きていく」ということが出来ない、或る意味志の高い人というのが増えたと見るか、必要とされている実感、つまり居場所や本当の自分を探すような或る意味寂しい人達が増えたと見るか、悩むところだ。 

 

 自分がこういったことを書くことが出来るのは、当事者やその関係者でもなく、比較的安全な場所にいて一線を引けるような状況であるからだ。出来ることといえば、無関心でいないことと積極的な区分行為に加わらないことくらいなものだ。

 

 ダーイシュは無神論者や非イスラム教徒が対抗しているとのたもうが、因なくば果は存在し得ぬとは雖も、自称イスラムの何に対抗しなきゃならん必要性があるんだ?
 イスラム至上主義でありたいのなら、西欧の発明品であるネットやらソーシャルメディア関連全てを断ち切り、より閉鎖的な集団を作って外に関心を向けず、外界から来るもの全てを拒否すればいい。そして外界である自分等も無関心を決め込めばいい。それはかつてUSSR崩壊後、アフガニスタンにやったのと同じ行為だ(結果更なる不幸を生んだが)。

 

 あまりに根が深過ぎて解決に至りはしないだろうが、最終的な目的は一体何なんだ?角を矯めて牛を殺すようなことしか出来ないのか?と言いたくなる。

 

 ・・・・疲れました。

 

 本日のお茶。

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 お茶はアッサムティー。
 お茶請けは見たまんま。