昨日の不倶戴天の敵は 今日の刎頚の友

日がな一日世界の傍観者となって独り言をのたくった跡

ミサイルってネイティブの発音で聞くとミッソーと聞こえるんだが…

 地名が付いた味噌って色々ありますわな。

 江戸味噌、京味噌、八丁味噌会津味噌、信州味噌、仙台味噌等々。中国大陸発祥説やら日本発祥説やらあるけれども、所謂「MISO」は日本発祥だろう。中国や朝鮮半島、タイなどにおいてそれに該当するのが醤(ジャン)。

 

 飛鳥時代には味噌の前身となるものが唐から渡ってきたので、その歴史は古い。言いようによっては、唐時代の中国はかなり国際色豊からしいことからも伺えるように、当時の交流の名残とも言える。

 国際色豊からしいと書いたが、懐も深かった模様。でなければいくら科挙に合格したとて阿倍仲麻呂さんが宮廷に雇用されたりするわけない。ちなみに彼の子供達4人くらいいたはずだけれども、うち2人は日本に来ていたはず。あと、彼の死後生活が苦しくなったから援助をしてほしい。という書簡が日本に出されている。

 

 と、まぁ華々しかった唐時代、一体どれだけ日本と行き来していたんだろうねぇ?尤も唐が滅ぶ少し前に日本は遣唐使を廃止しましたけどね。それを進言したのは日本三大怨霊の一柱こと菅原道真サマ♪というと、日本だと平安時代醍醐天皇の御代になりますな。

 

 遣唐使よりももっと頻繁に行き来していたと言われているのが渤海使(ぼっかいし)。

 かつて存在していた国なんだが、現在でいうとどの国所属かとは言えない。これが大陸の歴史の面倒なところだ。

 場所でいうと中国東北部朝鮮半島北部、ロシア沿岸部に跨る結構でかい国。唐よりも後に滅んだ国だが、亡びるまで日本との交易は続いたと言われている。…って、これも醍醐天皇の時代の話だな。聖帝も大変ですな。

 

 話を劈頭に戻して、何でこう、味噌の話していたのに乖離していくかな。まぁ、話が下手だからいた仕方あるまい。

 で、何で味噌の話なんかを持ちだしたかというと↓

 お茶請けが仙台味噌使用のみそ味おかきだったから。ちなみにお茶は冷たい宇治のお茶。勿論相性よく美味しく頂けました。半分食べたところで明日にとっておこう。と思ってたら、次の日のは全滅しとった(;゚Д゚)

 あったらまた買ってこようかねぇ…。