昨日の不倶戴天の敵は 今日の刎頚の友

日がな一日世界の傍観者となって独り言をのたくった跡

いつになったら落ち着くかねぇ?

 何だか連日頭の痛い展開になっているイスラエルの横暴だが、シーア派ベルトを突っつくなや。そんなにイラン引っ張り出したいかねぇ?

 

 前のブログとは違って、国際状況や軍事外交ネタはコチラでは展開しないようにしている。家族間の会話でもその手の話は殆ど展開しない。歓迎されないというのもあるが、視点そのものの高さが異なるというのと、あくまで「数」を「数字」として扱って話す自分とは会話にならんのだよ。「数字」と「数値」では意味が違う。

 

 既述の文章で使われている「数字」と「数値」は一般的な意味合いとは違うもので、「数値」の「ち」は「血」や「知」、「質」とも「散」とでも置き換えられる。「数字」との違いは数がまとう関係性。

 例えば今日の交通事故死者数。交番に掲示されていたりするわな。それはただの「数字」。この死者が自分の交流関係内の人だったり、交流関係が無くても亡くなった人の情報を得ていたたまれなくなったりした場合、その数そのものに感情をまとわせられたらそれはもう「数値」になる。

 「数値」の「ち」が様々な文字に置換するのも、「数」がまとった感情の意味によって異なる。

 

 ボディーカウントをただのカウントとして捉えるのが「数字」で、1人1人の人生(物語)の集積と捉えるのが「数値」。

 自分を狂気から守る為か麻痺してしまった故か、人は殆どのことを「数字」として処理して生活していく。

 

 それにしてもなぁ、今回の国連の演説、見事な茶番だわなー。