昨日の不倶戴天の敵は 今日の刎頚の友

日がな一日世界の傍観者となって独り言をのたくった跡

随分ろくでもないものと闘っているな

 現在親しい人がタイトルのような状況に置かれている。
 闘っているのか闘わされているのか。そしてそれは戦いなのか闘いなのか。立ち向かう事が善で、逃げることは悪?

 

 ネットやソーシャルメディアの本来の目的って何なんだろうね。

 

 連休中体調が芳しくなかったので(一発変換で中隊長ってデテキタよ・・・・)、上記のような事などを考えていた。他にも色々と考えていたが、同じ俎上に乗せるようなものでもないので割愛。
 ブログを書いたり、他所様のサイトに遊びに行ったりメールをしたりとオンラインにお世話になることは多い。

   ただ、調べ物をするに当たってネットは最終手段にしているし、特定サイトに入り浸っていることは殆どない。キリがないし、特に自分の中で判断基準が出来ていない事象に関しては、軸が出来るまでネットを使って情報を集めようとは思わない。
 自称、善悪の判断は出来る側ではあるはずだが、そうでない存在、例えば子供の場合は将来的にどうなっていくんだろうか?と思う。杞憂に終わればそれに越したことはないが、人というのは自分の信じたいものを信じるという特性を踏まえて考えるのならば、非常に偏った思考の持ち主が生まれる率が高くなるのでなかろうか?

 

 紙の新聞を読まないという人は増えたようだが、自分からしたらなんでかねぇ?と思う。ただこれに関しては自分は恵まれた環境にいるからこそ言える。
 最寄の駅の駅ビルに図書館が入っている。平日は21時まで開館している。出来るだけ時間を作って各紙に目を通すようにはしている。


 学生時代に習った新聞の読み方⇒紙面全面が視界の中に納まるくらいまで離れる。新聞社が人に読ませたい記事というのは目立つように配置されているので、世の流れを掴むにはそこを読む。逆に「都合の悪い事」は隅に追いやられていることが殆どで、またネットにアップされないことが多く、事後報告的な報道の仕方になるから、興味がある分野ならチェックしとく。
 その読み方で重箱の隅を突っつきつつ新聞に目を通している。
 その情報を元に、ネットでもチェックしてみることもある。いつでも情報源にアクセスできる状況にはないので(携帯やスマホは持っていない)、限られた時間で自分向けにどう抽出していくか。いつも悩ましい(笑)。デジタルをメインとする人達からすると物凄くまだるっこしいらしいが、時間に区切りがつけられるのでずるずる~となりやすい自分にはいいと思っている。

 

 前置きが長くなったが、タイトルの「ろくでもないもの」とは、人の悪意ないし善意だ。

 

 ホント、コレ、・・・・・・・・・・厄介だよな。あ、何でコレが既述のネットやらと絡むのか?⇒デジタル環境が当たり前になるにつれ、直面することが増えたから。

 ついでに親しい人が相手にしているのは悪意の方だ。


 人の悪意は大体の場合において"自分がうまくいかないこと"を、全て自分以外のものの所為にしている過ぎない。つまり、最もラクな生き方を選択しているに他ならない。
 敢えて普通という単語を使うが、普通の人はここまで意識転換するのにかなり苦労する。良心や道徳というものが備わっているから。但し、キッカケさえあれば意図も簡単に陥落するよ。
 

 ・・・・脳内腐れてきたのでお茶してきます。